モンティ・パイソン 復活ライヴ ― 果たして「復活」はあったであろうか?

 8月24日・31日にNHK-BSで放映された『モンティ・パイソン 復活ライヴ!』を視聴した。これは2014年7月に興行された『Monty Python Live (mostly)』(原題)を記録し、いとうせいこうらのコメントを加えて編集したものである(カットもかなりあったらしいが)。内容としては新作あり、これまでの傑作スケッチあり、大物ゲストあり、原題の"mostly"が示すとおりテリー・ギリアムのアニメーションありで大いに笑った。


 しかし、笑いながらどこか不思議なものを感じていたのも確かだった。かねてより「最後のモンティ・パイソン」と公言されていたことも関わっているかもしれない。笑って、笑って、前後篇を自分なりにまとめて、一晩寝て、起きて、わたしはこのライヴは「葬儀」だったのではないかと考える。

 内容を細かく追っていくとオープニングでは面々が登場し、舞台上方の大画面にでかでかと「シャッターチャンスです」と表示して新作スケッチが始まる。かつての苦労話、『最後から二番目の晩餐』などを経て『木こり』へとつづく。そのあとは『スペイン宗教裁判』『SPAM』『死んだオウム』などの再演である。思い出話のスケッチから傑作選へと移るさまは、さながら今わの際の走馬灯だ。どうやら"Silly Walk"も披露されたらしいが、テレビ放映版ではカットされていた。ジョン・クリーズがこのスケッチが、リクエストされることにさえうんざりしていたという話もある。にもかかわらず、このライヴでは取り上げられたという事実からもこの興行が走馬灯たる所以と言えるかもしれない。そこにあるのは「かつての楽しかった日々」であり、「記憶」であり、「現在」ではないのだ。エンディングでは名曲"Always look on the bright side of life"が唄われるのだけれど、この曲は映画『ライフ・オブ・ブライアン』で主人公ブライアンが磔になった場面(ならびに映画のエンディング)の歌だ。これも最期を象徴していると考えられる。そして歌の後に大画面に表示される"Monty Python 1969-2014"のテロップ。これは墓碑銘だろう。わたしはここで確信めいたものを覚えた。

 かつてYMOが1993年に「再生」したときのことを、細野晴臣は以下のように述べている。

 あれをやるまでは、YMOは解散したまま終わってなかったってことが、やっとわかったわけです。自分の中でモヤモヤしていたり、ファンもモヤモヤしていて、それを終わらせなきゃいけないと思ってやってたんですね、最後のYMOの「再生」は。
                 (ソニー・ミュージックハウス 『YMO読本 OMOYDE』より)

 現在でも、わたしを含めて彼らとその作品を愛する人間は多い。それこそ本国で最初から視聴していたり、東京12チャンネルの『空飛ぶモンティ・パイソン』で笑っていたり、わたしのように完全に後追いでDVD-BOXを購入したりとさまざまだ。公演中にも「YouTubeで探せ」というセリフがあったように、動画サイトでバックナンバーは見つけられる。パイソンズはグレアム・チャップマンの死とともに解散したが、それはモンティ・パイソンの死ではなかった。彼らはまさに空中分解という形容がふさわしい形で散り散りになり、それぞれの仕事をこなした。あるいは、どこかで「再結成」と銘打ってライヴを行った。その中で、どこかで終わらせる機会を作ろうとしていたのかもしれない。あの夜をもって、オウムと共にモンティ・パイソンもグレアムの元へ旅立っていったのだ。