(twitterリミックス) 「ハイトーン・ボーカルの潮流」の巻

 空想委員会というバンドの『空想片恋枕草子』というEPを聞いた。初めはiTunesで聞いてボーカルの妙に高いトーンにうっとうしくなって途中で再生を止めたのだが、電車の中で聞くと不思議と自然に耳の中に入ってきた。そこで、昨今の新人バンドのボーカルにおける謎が解けた気がした。とかく昨今のJ-POPバンドの男性ボーカルは音程が高い。いわゆる「歌手」でなく「バンドのボーカル」なのにやたら高い。GOOD ON THE REELとかクリープハイプとか。これらはいわば刺激物なので(わたしのようなオッサンには)心地よく耳に入ってこない。
 そこで「電車内」という空間である。そこには物々しい低音が溢れており、低音域が聞きづらくなる。ハウスやダブなんかはいまひとつ楽しめない。インダストリアル・テクノなんてもってのほかである。レゲエやファンクもどうにも違和感がある……枚挙にいとまがないけれども、要するにベース、低音が中心となる音楽は電車の中で、特にヘッドフォンで聴くのには向かないのだ。わたしのような物好きはむしろヘッドフォンを外して、車両が生み出す低音を楽しむほうがマシだとさえ考えてしまう。とにかく、ここで映えるのが「高音域のボーカル」なのだ。
 彼らが若者に支持される理由のひとつは「電車内でも無理なく聞けるから」なのではなかろうか。若者が音楽に触れる主たる空間である「電車内」で高音域の声はよく聞こえる。つまり、昨今のバンドボーカルの高音化はヘッドフォン文化の一部と言えるのではなかろうか。非「低音域」化の一端と称したほうが、あるいは的を射ているかもしれない。
 レコードからCDへの変換は、音楽メディアによる非可聴域との断絶であった。さらにCDから圧縮ファイルへの流れは、メディアにおける「主流」のさらなる変容だった。音質よりも利便性を優先するという事象が、音楽において果たして善いことであったかどうかを論じるのは無粋である。けれども、この事象は、現在のJ-POPにおけるひとつの流行の原因でありそうなことは確かなようだ。そしてそれは、10代の時分にダンスミュージックに惚れこんでしまい、音響を「音楽」へと昇華させたダブに何かを見つけた(気がした)人間にとっては看過できないことがらなのだ。

 今回は以上です。