Can you do the raggay?

 窪塚洋介のプロジェクト「卍LINE」について。半年ほど前にジャズの掘り下げをいったん切り上げて、レゲエ、ダブに接近している。もともとMighty Crownのミックステープでそれなりに「レゲエ」という音楽を味わい、7インチも何枚か持ってはいるが「思考」でもってレゲエに傾倒したのは初めてである。現在ではエイドリアン・シャーウッドの各種プロジェクトを聞き漁り、ベーチャンならびにRhythm&Sound、Lee PerryやKing Jammyといったレジェンド的存在からAswad、ADFといったUKダブ、もちろん日本のDry&HeavyやAudio ActiveMute Beatにも触れた。ここでひとつのレコードを挙げたい。The Clashの「Sandinista!」である。
 The ClashといえばSex Pistols、Damnedと並んで三大パンクと称されるがパンクの根幹にある「反抗」を「反乱」の次元にまで押し上げたのはThe Clashを除いて他にいない。自身の主張を喚くだけの少年性がパンクの軸であるのは言うまでもなく(したがってロリータ・ファッションとも繋がるわけだが)、しかしそれ故に軽薄な印象をぬぐえないのもまた事実である。「London Calling」を経ながら、しかしレベル・ミュージックであるレゲエと結びついた瞬間、彼らの「喚き」は論理を随えた「主張」へと変貌したのである。また、レコードの製作過程がいかに深謀遠慮を伴ったものであるかはここで改めて書くまでもない。窪塚の言うとおり、レゲエは反乱の音楽であり、パンクとは一線を画すもののそこから地続きでないとはいえないのだ。現在、UK勢でおそらく唯一のレベル・ミュージック・クリエイターであるAsian Dub Foundationがその名に「ダブ」を関しているのも尤もな話だし、学生闘争の記憶を模したといわれる「thatness and thereness」が収められた坂本龍一の「B-2 Unit」からダブへの食指が感じ取れるのも不自然ではない。ちなみにジョニー・ロットンがUKダブへ近づくのは彼がその名を変えてあの「Metal Box」をリリースするまでの時差があることを考えると、The Clashが音楽に「思想」を結びつけた偉大さがいかに大きいかを想像できることだろう。
 実際のところ「卍LINE」がどこまでレベル・ミュージックたるレゲエの本質に接近しているのか定かではない。というか、ライヴ映像をいくつか観た限りではその次元にまで達していない。素人目からもラガマフィンを真似た「ごっこ」の程度しかない、とさえ言えるだろう(ちなみにこれは日本における自称『レゲエDJ』におけるほとんどにおいて該当する事象ではあるのだが)。日本においてはそもそもパンクやヒップホップという反乱の音楽は根付かないという動かしがたい事実は厳然として存在しているわけだし、そこを窪塚が覆せるともわたしは思わない。ただ「またか」と嘆きつつレコードを聴き漁り、ラップトップのキーを叩き、サンプラーに向かうのみである。

 今回は以上です。