「レビュー」の巻

 阿部和重インディヴィジュアル・プロジェクション』読了。二時間くらいか。とりあえず東京という都市空間が文学に与えた影響を探るつもりで読んだが、あまり資料としてはよろしくなかった。面白いからだ。
 全体としては「随分と親切なつくりだなあ」という印象である。カタカナ表記で精神衰弱を表現したり、伏線が伏線として見えていたり、オチもオチらしく締まっていたり。とにかくわかりやすい小説だった。問題は常盤響のジャケだろうか。ネタバレになるが、全然関係ない。まあ、ジャケ買い層を狙った戦略だとすればそれは成功しているだろう。
 前半では非常に不快な気分にさせられた。なぜなら『アメリカの夜』から何も進歩していないように感ぜられたからである。以降の『ABC戦争』や『公爵夫人の午後のパーティー』は一体何だったのかと詰りたくなったほどである。何より主人公像がほとんど変わってない。中山唯生もオヌマも映画館勤務だし多少の経験の差こそあれ、共に肉体改造を行う。そしてやはり問題は映画館から生じる。ひょっとして学校で映画を製作していながらロードショーされなかった(所詮素人だし)がゆえに、映画館に怨みでもあるのだろうか。しかし、彼は少年期を映画館で過ごしたとも語っている。つまり、幼い時分に馴染みであった場所、同時にオーディエンスからブレゼンターへの変遷も願っていただろう映画館への郷愁と、年を重ねるにつれプレゼンターたり得なかったことへの逆恨みが相俟って、「職場」=「いたい場所」としての映画館と「元凶」=「怨恨の対象」としての映画館とが氏には内在しているものであろう。
 作品のみに没頭すると、これは男の子好きのする小説である。男子は誰しも鍛え上げた、しかし靭かな人間に憧れるものだからだ。『忍者武芸帳』や『007』シリーズが売れるのがその明確な理由となろう。渋谷や中学生の援助交際、拳銃や刺青に数々の陰謀などの「仄暗さ」も演出している。こういう暗い「雰囲気」は自慰の対象としては格好なのだ。中森明夫が「みんな絶対安全な『危険』が大好きだ」と言っていたが、それを見事に充足させている。以上のような意味でも「親切」な小説なのである。
 というわけで娯楽としては良質だった。氏が脱稿してから10年近く経っているが、今でもまだ面白い。それは渋谷、あるいは世界が停滞していることの紛れもない証拠ではあるのだが。夏休みに入ったら一年以上本棚の肥やしとなっている『シンセミア』に手を伸ばそうと思う。