「デトロイトに針路を取れ」の巻

 小林秀雄がすでに示したとおり、日本の「自然主義」文学や私小説と欧米の、つまりオリジナルのそれとは名称こそ同じだけれどその中身は全く異なっている。名称という道具は物事を決定付けるのに非常に役に立つけれども、時としてあいまいなイメージのまま決定してしまう危険がある。逆を言えば、近い、もしくは似たような感触を持つあらゆるものがその名称の元に集合せられてしまって、何でもかんでも「その名称」でもってイメージやアイデンティティを固定されてしまうということだ。
 花袋の「蒲団」は日本の私小説のパイオニアとして現在も位置づけられている。これも言うに及ばず「歪められた」(プラスイメージの言葉を用いれば『日本独自の』)自然主義文学である。以降、告白小説ムーヴメントが興り、文壇では跳梁跋扈毀誉褒貶侃々諤々がさんざんに行われるわけだが、ここにおいて、当時の文壇の連中はあるひとつの真実を見逃しているように考えられる。つまり、彼らは自身が何を評価していたのかに気付いていなかったのだ。彼らは畢竟私小説というスタイルではなく「蒲団」そのものに惚れこんでいたのである。ゆえに告白小説(という形式が素晴らしいものであると考えて)を持ち上げ、模倣し、ブームを巻き起こした。真似という行為が生理的反応であることは以前にも書いたのでここには書かないが、確かにその作用もあろう。あるいは欧米文学に対する少なからぬ劣等感、そしてその裏返しとしての(捻じ曲がった)トレイス、という邪推も可能だ。
 なぜわたしがこの考えに至ったかというと「蒲団」に登場するセンテンスに時折光るものを覚えたからである。一介の高校生の読みと、文学における専門的知識を丸二年叩き込まれた人間のそれとは視点や発見において雲泥の差があるのは言わずもがなだ。一例をご紹介しよう。芳子が田中青年との恋を熟させ始め、手紙を頻繁に交換していることに時雄がやきもきするシーンでの文である。


 一ヶ月は過ぎた。


 この一文の妙はどうだろう。その直前の「九月は十月になった」も捨てがたいが、やはりこちらに軍配が上がる。助詞「は」をこのように用いる際は、普段であれば何かしらの修飾が必要である。例えば「少なくとも」や「瞬く間に」など。しかも、そのヴァリエーションは広い。簡単な形容詞でも構わない。「つらい」「一ヶ月は過ぎた」でも相応だ。だが、花袋はそうした形而下の修飾一切を省くことによって、形而上においてすべての修飾を行うことに成功している。文学的な、余りに文学的な一文である。かつて「蒲団」を礼賛した人々はおそらく花袋の極上なレトリックに心惹かれたに違いない。が、哀しいかな、彼らは他を観察する目は肥えていたが、自身を省察する器用さを持ち合わせていなかった。もし、ここでわたしのような考察が主流だったら、現在の文学はその様相を実際と大きく異にしていたに違いない。

 今回は以上です。