「見慣れた光景」の巻

 殺害した遺体を敢えて切り刻むという殺人事件が続発している件について。わたしはネクロフィリアではないけれどもこの続発というケースについて興味を覚える。行為だけ見れば残虐である。問題は、なぜ彼らが切り刻むのかだ。相手を殺したいほど憎んでいて結果として殺してしまった際に一旦目標は達成されているはずである。まさか生きている状態で解体しているということはないだろうから(そういう趣味なら別として)、死んだと確認してから彼らは被害者を切り刻んでいるわけだ。学者が「ただ殺しただけでは安心できないがゆえに解体する」とコメントしていたが、それは「ゲーム脳」同様にきわめて表層的な見解でしかないように思われる。
 解体するということは原型を失わせるということだ。それぞれ同士が癒着していたものを切り離すことによって形状を破壊する。コラージュ芸術の面白さはそこにあり、部分を独立させることによって生み出される新たな感触を楽しむわけである。わたしは、殺害後の解体作業の理由はここにあるのではないかと考えるのだ。人を殺したという認識を頭から消し去るために、対象を解体し、「人間ではない形」にする。ひとつひとつの「もの」となった身体の各部分はすでに「人間ではない」という視座を無理やり自身に植えつけるわけだ。「証拠隠滅を図るためにバラバラにした」などと宣う学者先生がいたが、証拠隠滅することを考えているのだったら突発的に殺害したりはしないだろうし(話題になった事件はいずれも計画的とはいえない)切り刻むより効率のいい方法を考え付くことが出来るはずだ。遺体を解体するのは畢竟現実逃避の為せる業であり、ゆえに、被疑者はみな「普通の人」なのである。

 今回は以上です。