ファイト・ザ・フューチャー Part1

 えすのサカエ未来日記』第四巻を購入したのでレビューがてらに論じてみたい。内容はWikiなり他の方のレビューをお読みいただくとして、先んじて述べておくことはもし第一巻だけ読んでいたならわたしはそれでこの漫画の先を知ろうとはしなかったという事実である。それほどに面白みと言うか惹起させる何かを感じ取れなかった。この理由を以下に記す。
 まず「時空王」ことデウス・エクス・マキナの存在だ。その名前からして物語にふさわしくない。「デウス・エクス・マキナ」とは日本語で「機械仕掛けの神」と訳され、文学や映画、神話など凡そあらゆる「物語」と呼ばれるべき存在において「物語の辻褄を合わせるべく物語上に登場するもの」、あるいは転じて「ご都合主義的かつ強引なストーリー展開」を指す。俗に言う「夢オチ」が世間一般には最もメジャーな類型だろう。何が言いたいのかというと、こんな名前のキャラクターを登場させている時点で興ざめだということだ(これを理由にデウス・エクス・マキナ的ストーリー展開をされた日にはどうなることか)。他にも第一巻にはさまざまの穴が見受けられる。たとえば雪輝の「無差別日記」には「雪輝自身のことは書かれない」というルールがあるが、最初の「未来」には彼自身が投げたダーツの結果が書かれている。これはのちに登場する前提に矛盾しはしないだろうか。9thこと雨流みねねも違和感だらけのキャラクターである。まず爆弾魔なのにあの服装はありえない。遠隔操作とはいえ爆薬の至近距離にいる以上、自分も炎に巻き込まれる可能性があるからだ(言い換えれば安全圏に自分を置くことが重要であり、このあたりが『逃亡日記』の発現の理由と思われる)。また、なぜか単車で逃亡する際に大声で自分の日記の内容を告げてしまう。不思議でならない。そもそもこの作品を手にしたのは「ヤンデレ萌え」を学術的レヴェルで研究したいという欲求に駆られた筆者がその一サンプルとして我妻由乃の分析を試みるためなので別にストーリーの稚拙さなんて眼中にあるべきでないといえば確かにそうなのだが、やはり「自分の読んでいるもの」の水準が低いとわかるのは辛い。
 我妻由乃に関して、わたしは以前「成長型ヤンデレ」と定義づけた。これは時間の経過、もしくは相手との関係の密接さによってエゴが大きくなる傾向をもって名付けたのだが、第四巻でも由乃のエゴは着実に肥大している。ひとつひとつ見ていきたい。
 最初はP.11の「ユッキーには友達なんて必要ないよ」というセリフ。ここで友人関係さえも許さないという予告がなされている。続く日野日向、野々坂まお、高坂王子と共に、月島狩人こと10thの犠牲者が発見された公園へ行った際に、地面にひたすら「しね」と書くというシーンで決定的になる。排除すべき対象が「恋仲を邪魔する存在(雪輝の母含む)」から「雪輝と仲良く振る舞う者」へと範囲が広がったことがここで明示された。これは第十五話で犬を追い払った後に雪輝が高坂らから励まされているときの表情や、第十八話終盤の「近づく奴は全員殺すからっ!」という言葉にも表れており、また、同シーンにて「仲良くなる」→「雪輝が好意を持つ」という過程の妄想が範囲の拡大の原因であることがわかる。さて、ご存じのとおり我妻由乃はストーカーである。ストーカーの心理における最大のポイントは妄想による事実の修正=「思いこみ」だ。この特性が上の行動にも出ているが、殊に第十八話に顕著だ。由乃は雪輝と同じ方向に逃げ、他全員を見殺しにすることを「最初の打ち合わせ通り」と言っているが、あれは第十六話を参照すれば由乃の一方的な提案にすぎないことがわかる。だが、あの「提案」は由乃の脳内で「打ち合わせ」に置換されているのだ。続く「あの女は今日初めて会ったんだよ? 昨日までは"赤の他人"だったんだよ?」という台詞も妄想が炸裂している。というのも、第一巻で雪輝と由乃が「出会った」日に、彼女は既に「ユッキー」と呼び、キスまで決めているのだ。あの日は雪輝にとっては最初のコンタクト(実際は昨年だったのだが、彼にそんな意識がないのは第二巻で描かれているとおり)だったが由乃にとってはそうではない。この差も彼女の妄想に原因がある。ストーカーは徹底して自分本位の考え方に取り付かれるのが定石らしく、中には自分が被害者であるとさえ考えるタイプもあるという。ここには及ばないが(あるいはそれを超越しているのかもしれないが)由乃の妄想による事実の変貌は誠に高水準なのだ。
 ヤンデレという視座に立てば野々坂まおもそこに属する。おそらく日向から「未来日記」がどういうものかを知らされていた彼女は、秋瀬或の提案した賭けに日向が負けそうになると見るや、雪輝の「無差別日記」を破壊し、犬を使って皆殺しにしようと持ちかける。また、いよいよ敗北が確実になると自ら「無差別日記」に手をかけようとする。非情さと行動力においては由乃に勝るとも劣らないキャラクターのため、以降、どのような展開になるのか気になるところだ。
 結果からすれば新たなサンプル(=同性愛、もしくはそれに準ずる感情が引き起こすヤンデレ)を発見した以上、わたしはこの作品を読み続ける必要があることがわかった。

 今回は以上です。