「文法」の巻

 本日、古語文法の試験があった。担当教員は某国立大学(教育系メイン)の名誉教授であらせられる。洒落のセンスもあるのだが、如何せん学生が反応しないのは彼のレヴェルが高すぎるからだろうか。昨年度に別の講義で顔を合わせていたので、現在も稀に話をする。今日はそのことを。

「今日の試験を見て、○○先生(学部主任)が驚いててねえ」
「何をですか」
「簡単すぎる、中学生のレヴェルだって言うんだ」
「まあそうかもしれないですねえ」

(実際、高校の入学時に行う確認テスト程度のものだった)

「でもこれ一応必修だから、落としたくないんだよね」
「三年生もいますしね」
「問題は他の学部の人にはどうなのかなっていうのがあって」
「ああ、なるほど」
「実際に英文科の先生にやってもらったんだけど、やっぱり出来なかったねえ」
「へえ、出来ませんでしたか」
「帰国子女とかには難しいんだろうね」
「ですね。自分らがラテン語をやるようなものですからね」
「そうだねえ」

 結局、文法というのは幼少期の生活に根ざしてしまうと思う。これは何も外国語に限った話ではない。それは方言に顕著だ。阿部和重の『ABC戦争』にも方言で書かれたシーンがあるが当然彼は内容を理解しているわけで、しかも小説は標準語なわけだから、ちょっとしたバイリンガルである。日本人が日本古語文法を理解できるのは、何も知識に頼ったものばかりではなく、感覚で多少なりとも把握している場合もあるのではなかろうか。逆に外国語を習得しづらいのも文法にあるようだ。所謂主述部の配置の違いである。ドイツ語の基礎中の基礎を学んで二年目だが、未だに日常会話すらままならないのも、ここに一理あるのだろう。
 では我々が中国語で書かれたものを僅かながら理解できるのはなぜか。理由は我々には漢文を読まざるを得ないからだ。日本独自の国家らしきものが最初に記された書物は、日本語ではなく漢文で書かれている。ゆえに我々はルーツを知るためには漢文は避けて通れないのだ。もうひとつ、日本語は中国語の加工品であることが挙げられる。万葉仮名とて中国語の存在なくしては有り得ないものである。加工するからには、その仕組みを独自の方法で理解せねばならない。つまり、日本語の歴史は翻訳の歴史とも換言できるわけである。日本のみの国語が確実に浸透し始めた平安期にさえ、日本は中国の書物を取り入れて、決してそのまま読んだりせずに日本語で訳した。西周も同様である。彼なくして「哲学」という単語はなく、さもなければ我々は「フィロソフィア」という外来語を常用していた可能性もあるのだ。