「ディレクターズカット版」の巻

 養老孟司『身体の文学史』に関するレポートを書いたのだが原稿用紙15枚超過というなかなかの容量になった。それでも書いていた累計は24時間に満たない。しかも泣く泣くカットした部分がある。全体を通して浮いている感じがしたからだ。蓮實文体をさらに長くした感じである、とすると蓮實氏に失礼か。これもすべて阿部和重の影響ではあるのだけれど。以下にその大意を記しておく。

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 要は昨今とは身体の希薄化の時代であり、実存の喪失が進んでいるということである。これは養老氏のいう「脳化」ではなくその先へ行った理論で、脳までもが氾濫する情報を処理しきれずにオーバーヒートするというものだ。結果、動かなくなる。近年叫ばれて久しい思考停止というやつだ。これを私は「形而上ロボトミー」と名付けた(おそらく未然の語彙だと思われるので商標登録しておこうと思う)。「ロボトミー」は正しくは「ロボトミー手術」といい、前頭葉を摘出してしまう技術である。こうすることにより視床下部や海馬といった脳の各機関の統制を失わせる。これだけでは当然使い物にならないわけで、人工前頭葉で補完するのだ。平たく言えば脳にコントローラーをつけてしまうわけである。
 私は情報=イメージの絶え間なき入力を手術道具に例え、思考が停止する様を前頭葉の切除と結んだわけである。これだけではない。昨今での主な「思考停止世代」である若年層を見れば、ロボトミー手術を受けた人間さながらの行動パターンを持っていることがわかる。好き勝手に振る舞うさまは視床下部の抑制解除であり、話をろくに聞かずに自己主張だけを行うのは海馬による記憶定着が機能していない(話が頭に入っていない)、といった塩梅だ。その多くがテレビなどの情報媒体という受身な点も「手術」に準えられよう。
 が、流石にここまで来るとメインテーマから大きく逸脱してしまうので断腸の思いでごっそり削除したのである。大体字数も稼げないし、それ以前に私が誤った「ロボトミー」の概念を抱いているとも限らないからだ。
 ところで前頭葉摘出で思い出したのだが、かの『ハンニバル』ではレクター博士前頭葉(当然人間の)の料理を出してくれるシーンがある。アンソニー・ホプキンス氏の演技の巧みさもあるのだろうが、その姿は実に優雅で本物の料理のようだ。

(ここから先は著しく食欲を失うおそれがあります。ご注意を。)

 予めチェーンソーを入れておいた頭蓋骨を開くと灰色の脳細胞が現れる。暴れられては困るので食材は椅子に縛り付けて全身麻酔を施さねばならない。切除したて(シュールな表現である)の前頭葉の切れ端を茹でてからさっと冷水につけて食感を保つ。のちにパン粉をつけて無塩バターで軽く炒めるのだ。食べる直前にレモンを絞るとベターらしい。語弊を省みずに申し上げるが、甚だ旨そうな描写である。この後、食材は自らの前頭葉を口にするのだが、やはり美味いらしい。視床下部が抑制されていないということは好悪が顕在化することと同義なので、食材のコメントは常に正しい。であるなら、やはり前頭葉は美味なのだろう。

……こうしてどんどん脱線するから私は削除したのである。