「夢、それはドリーム」の巻

 「I have a dream. One day〜」といえばキング牧師だが、わたしにも似つかわしくない空想的な夢がある。断じて言うが栗山千明嬢との結婚ではない。確かに本日は久々に「動く栗山千明」を見てやや興奮気味だが、いくらなんでもそれは分不相応だし、それ以前に想定すらできない。そもそも栗山千明という存在は……このへんで止めておこう。申し訳ない。まだロゼのシャンパンが抜けていないのだ。
 さて、わたしの夢だが、発端は小学生の時分だったのでかれこれ10年になる。「絶滅した動物」という概念を手に入れたときのことだ。自身には出会い得ない動物がいることを知ったのである。小学生のわたしはその動く瞬間を見られない動物のうちのひとつである、ドードー鳥に惹かれた。何故だかよくわからないが以来、わたしはドードー鳥を想うこととなったのである。彼らがの主な絶滅原因は過度の狩猟、つまり人間のエゴということだ。ということは、ドードー鳥とは人間という自然と敵対する存在によって、葬られた自然のひとつと同義の存在である。遺憾だ。情けなくて仕方がない。昨今は環境保全が声高に叫ばれているが、そもそも「環境」という単語自体が人間本位の語彙であることに彼らは気づいているのだろうか。適当に善意を振りかざして免罪符を手にして、のうのうと冷房の効いた部屋でテレビドラマなどを見ているのかもしれない。やりきれない。実にやりきれない。我々の姿をドードー鳥が目にしたなら何と言うだろう。おそらくは何も言わずに歩いていくのではないか。しかし、諦めと侮蔑の篭った足取りであることは間違いないだろう。
 常にドードー鳥は我々の背後にいる。