「YOU LOVE HIPHOP?」の巻

 現在のところ、日本においてhiphopという文化は根付いていないと思われる。Rapという点においては多少手に入れた感じはあるものの、hiphopとして観るとやはり首を傾げざるを得ない。
 まず、聴けばわかることだが日本の「hiphop」と銘打たれたものは音が多すぎる。派手なホーンセクションやらギターやらシンセやらが随分と後ろで鳴っているのだ。翻ってアメリカのそれを見るとa capellaでも充分売れるのではないかというほどバックトラックが少ない。それだけ声色が美しく、強烈に訴えかけてくるのだ。そもそもhiphopの音楽の起源は針の飛んだレコードであるという。音楽を聴きたくても金のない彼らはボロボロになったレコードを格安で手に入れ、擦り切れるまで聴くしかなかった。ゆえに中には傷が付いてろくに機能しない盤もあったろう。しかし、偶然にきっかり何小節かで針飛びを起こし、そこにRapを乗せたものが最初のhiphopとなった。ゆえに、バックトラックでなく声そのものが主体となる音楽なのだ。ゴスペル的な要素も当然あるだろう。
 さて、ここまで話を進めると日本にhiphopは根付き得ないことが理解されることだろう。まず、人種差別がほとんどないということがある。しかしここでは、被差別部落アイヌにおける問題は未だ解決していないではないか、という反論が可能だ。そもそも「改進地区」というボキャブラリ自体が差別の指標であるし、つい10年前でアイヌ人への虐待が法的措置の元に行われていたという事実がある。ここで注視するべきはもうひとつのhiphopの要素であるゴスペルの存在だ。つまりキリスト教会と礼拝である。日本にはこうした習慣が根付いておらず、週に一度音楽に触れるなどということはなかった。田植え歌、田楽などはあくまで鼓舞であり、音楽そのものに耳を傾けるようなものではない。
 つまり、日本においては伝統的に国産のhiphopは存在し得ないのである。あくまでそこにあるのは「それっぽい」エッセンスを多少加えたポップスであり、裕福な人々の真似事でしかないのだ。

 今回は以上です。