「ウワサの伴奏」の巻

 なぜか今さらになって映画「ハリー・ポッターと賢者の石」を見た。地上波で放映されたときでさえ観なかったのに、何となくDVDを借りてしまったのだ。「ロード・オブ・ザ・リング」よりも基礎知識は必要ない(というより『ロード〜』が必要すぎるのだが、それはそれとして)作品で、身も蓋もない言い方だが所謂シンデレラ・ストーリーであり、原作にはまったく触れていないで書くのも気が引けるだが、いかにも一般大衆の喜びそうな映画であった。
 しかし、物語のほとんどに通奏低音としてあるのはやはりUKの階級、もしくは階層問題である。見ていてあまりにも露骨なので「ここまで描いていいのかなあ〜」と思うほどだ。実際、UKはこうした生来の問題、つまり人種や階層などに対してラジカルに対応する国の一つだ。ASIAN DUB FOUNDATIONがなぜ真にロック・バンドであるかを鑑みれば瞭然であり、これを思うと彼らがFranz Ferdinandと肩を並べられるということの裏にどれだけの労苦があるのかがほんの少し判る。これは当然「ハリー・ポッター」へも描かれており、例えばダンブルドア校長が全面の信頼を寄せているハグリッドでさえ、マグルは蔑視するし、魔法使いの家系同士であるにも関わらずロンとマルフォイとの間には不可視の(しかし、互いには強烈に意識しあっている)階層差が存在する。他にも、ハーマイオニーのマグル・コンプレックス(スネイプの授業における必死の挙手など)は労働者階級の子供がエリート階層の学校に見られるアクションである、「教わっていない」はずの箒の乗り方を知っているマルフォイはそのまま上流階層における入学前の社会教育のトレイスである、などその「暗示」は枚挙に暇がない。アメリカにも一応ゲットーを描いた「8Mile」という映画があるけれども、「ハリー・ポッター」ほど直接的に(かつ絶望的に)取り上げてられてはいない。やはりUKならではの視点を持つ作品だった。次回作以降はもういいかなとという感じである。