「空白の時代」の巻


 1960年代はロックの年代だとか70年代の学生運動が好きだとか80年代のディスコティックに神経が麻痺させられたとか書いても実際にわたしのとってリアルなのは紛れもなく1990年代である。殊に年代末のことをわたしはきっと忘れないと思う。すると年長者は言う。「では90年代に何があった?」と。70年代にはYMO大阪万博、日中平和友好条約があった。80年代には円高不況の脱出、東京ディズニーランドがあった。わたし自身、90年代を省みてもあまり喜ばしい記憶があるとは言えない。ゆえに「失われた10年」と呼称されることもしばしばだ。けれども、物心ついたときに観たアトランタ夏季オリンピック米騒動に巻き込まれていたことを覚えている。
 写真はSvenson&Gielenの「Beauty of Silence」の12インチ・シングルである。2000年に発表されたこのレコードは今でいうエピック・トランスの先駆けとなった。これを手に取ると初めて渋谷へ行ったときのことが思い出される。マンハッタンの二階で「born slippy nuxx.」や「Meet her at The Love Parade」などと一緒に購入した。その音もさることながら題名にわたしは惹かれていた。直訳すれば「沈黙の美しさ」である。音楽でありながら沈黙を称えるという矛盾。しかし、聴けば確かにその意味が分かる。16分のスネアロールやサビのシンセの後に無音が来るのだ。実際には無音ではなく響いているのだけれど、何とも表現しがたい「間」がある。そして完全に音が消えたかと思うと再びシンセが吼えるのだ。果たして沈黙の美しさはこの点にあった。敢えて音を出さないことで響きを強調し、音楽ではなく音そのものも楽しさを表現しているのだ。
 わたしにおける90年代の価値はつまりここにあると考える。つまり残響である。21世紀という期待に向けての響きである。響きにはそれそのものに主体性はない。「影響」という言葉あるように実体に対する影にすぎない。しかし、それこそその実体が真に存在したことの唯一の絶対的な証明である。音なくして響きはないが、その逆もまた然りなのだ。思えば90年代には清算が多く行われた。バブル経済の破綻による不良債権の処理や危機管理能力の低さを図らずも露呈させた阪神大震災などはその一例である。「Beauty of Silence」はその90年代の「残響」である2000年に発表された。実に象徴的である。1990年代は決して失われてはいない。