「腕前」の巻

 深夜、「RYUICHI SAKAMOTO PLAYING THE PIANO/05」を観た。坂本龍一こと教授のソロ・ライヴであり、シンセやKaoss PadCDJといったディジタル機器ではなくアコースティック・ピアノフォルテのみで行うという、彼にしてみれば胎内回帰的なライヴである。最も近いファン獲得の機会となった「energy flow」から「戦場のメリークリスマス」といったサカモト・クラシックスな曲まで幅広い、かつメジャーな選曲だった。たった一時間の番組ながら、深夜に放映されるのが不思議なほどクオリティの高いものだったと思う。
 ハイライトは二台のピアノを用いた演奏である。教授曰く「演歌でいうところのひとりデュエット」らしい。これは一台のピアノを演奏データを再生することによって自動演奏させ、それに教授が生で合わせていくという離れ業である。とはいえ、手法自体はそれほど珍しいものでもない、というか、シークエンサーの元祖とさえ呼べるものなのだ。19世紀に発明された「自動ピアノ」はある速度で回したロール紙に演奏を記録し、再現するエンコード/デコードシステムを取り入れていた。この機構をさらに遡るとオルゴールとなる。
 しかし、教授はやはり教授であった。クリック音のようなものを一切使用せずに演奏データと完璧に共演したのだ。音符ひとつ分の隙もなかった。彼の作る楽曲は変拍子などザラであり、YMO時代の「東風」は複雑にリズムが変わっていくものとして有名だ。今回、この手法で演奏されていたのは「Tibetan Dance」と「Riot in Lagos」の二曲(が放映された)である。後者の「Riot in Lagos」は唯一彼がYMO在籍当時に残したソロアルバム「B-2 Unit」に収録されていて、YMOでも時折演奏されたものだ。というと気になるのはリズム隊、つまりドラムとベースである。実はこれをも教授はピアノで自動演奏させたのだ。低音域を巧みに使いこなし、シンセサイザーを用いるようにピアノを奏でたのである。一方、「生」の教授はほとんど即興演奏に近いみたいだった。彼はかつてインタヴューで「即興と電子音楽とを組み合わせたようなものやりたい」と語っていたが、どうやらその答えのひとつがここにあったようである。いや、面白かった。