「2006年月面の旅」の巻

 「Fly me to the moon」といえばわたしたちの世代ではきっと知らない人はいないと思う。1954年にBart Howardによって作られたこの曲は元は「In other words」という題で、しかも三拍子だった。当時はほとんど売れなかったらしいが、'62年にJoe Harnellによって四拍子のボサノヴァにアレンジされ、「Fly me to the moon」と改題されると忽ちのうちにヒットし、現在もなおアメリカン・ポップスのスタンダード・ナンバーとして君臨する名曲中の名曲となる。
 だが、歌詞だけを見るとThe Beatlesの「Lucy in the sky with Diamond」に匹敵するほど奇怪な曲だと思う。以下に歌詞全文を載せておくので参照されたい。



 Fly me to the moon
 And let me play among the stars
 Let me see what spring is like on Jupiter and Mars
 In other words, hold my hand
 In other words, darling kiss me

 Fill my life with song
 And let me sing forevermore
 You are all I hope for all I worship and adore
 In other words, please be true
 In other words, I love you



 問題は「In other words」という接続節である。この節が受けるのは前の文章全体であると考えられるが、あまりに意味的に離れすぎているのだ。「わたしを月へ飛ばして」「木星や火星の春も見てみたい」という願望が「わたしの手を取って」「キスして」というイメージに繋がるとは到底考えられない。というより意味不明である。個々の文を読むとロマンチックな歌詞であるし韻も踏んでいるので、前衛を狙ったとは思えない。しかし、やはり明瞭なひとつの印象が湧いてくることはない。
 ここでさらに一歩退いてみたい。これは「なぜこのような歌詞になってしまったのか」という問いを発することと同義である。接続節の後ろは要旨、というのは定番であり最後の「I love you」が本題であることは間違いなさそうだ。ではこの物語の主人公はなぜ「I love you」を「Fly me to the moon」と結びつけてしまったのか。それは彼(もしくは彼女)が不器用だからに他ならない。好きで好きで仕方ない人を目の前にしていざ告白しようというときに、自分でも訳のわからないことを口走ってしまう、恋に対するどうしようもない不器用さである。サザンオールスターズが「TSUNAMI」で「見つめあうと素直にお喋りできない」と歌ったのと同じ空気だ。後込みと緊張が重なり、見かけだけはロマンチックな言葉を言ってみたもののさっぱり伝わらず、自身にしびれをきらして唐突に告白してしまう。実に不器用な恋を唄っているのだ。ゆえに微笑ましく、ゆえに人間的な歌詞だとわたしは思う。

 今回は以上です。