「Man in the Mirror」の巻

 TBS系列「世界一受けたい授業」でJohn Cageが取り上げられていた。John Cageといえば当時のクラシックから現在の音響系に至るまでさまざまに影響を与えてしまった音楽家である。彼の特徴は、既存のフォーマットを斬新な方法で使用するという点に集約される。それは楽器に限らず、楽譜であったり「ライヴ」という手法であったりと音楽に関与するすべてに当てはまる。しかしわたしは「斬新」と書いたものの、これはあくまでわたしにとっての印象である。そしてこの印象はどこから来るのか、と問えばわたしの音楽に対する固定観念、つまりピアノは鍵盤を叩くもの、楽譜は一定量の記号によって表現されるものというような印象であり、その印象から外れているように感じるために「斬新」と表現したのである。
 新しいものを生み出すということは結局このような「不文律」を突破することであると考える。その突破の手がかりとなるのは疑問だろう。「楽譜にはなぜ決まった記号しか書かれていないのか」、こうした当然といえば当然な疑問をいつの間にか考え付かないようになっていることは、ある意味では発展の否定に繋がる。進化への踏み出しは得てしてシンプルなものだ。コーネリアスこと小山田圭吾坂本龍一の「undercooled」で見せたギターは凄まじかった。コードには表現できないだろう、泣き叫ぶような音だった。これは音楽だけに当てはまることではない。絵画や服飾、文学でも同様である。また、この「不文律」は当人の思考とほぼ一致している。言い換えれば斬新なものを発するためには、まず自身を見直す必要があるということだ。長所があればそれを際限なく引き伸ばしたり、短所があれば補完したりしなかったり。となると、極論ではあるが、畢竟「発明」とか「製作」という作業は自身のもつ「自身のイメージ」を具現化することであるとも言える。それはあくまで準備段階だが、ひとっ飛びに未知へ到達することは不可能だろう。John Cageの「4分33秒」とはきっと「音楽家」という存在に対する彼のイメージとそれに対する疑問、および疑問の解決を行うための作業(解決そのものではなく)だったに違いない。この作業自体は単純にして明快だったが、作業の発案およびそれまでの過程の長さや労苦は計り知れぬものだったと考える。

 今回は以上です。