「続・普遍的願望 〜余は如何にして電子音楽愛好家となりし乎」の巻

 以前に「人間の超人思想」について書いたが、わたしが電子音楽を好むのもここに相当する。ここではより一般的なテクノというジャンルを代表として考えをまとめてみたい。実は「テクノ」という言葉で指すべき対象の音楽は、1980年で大きくその意味を変えている。いわゆるデトロイトテクノがその役割を担った。逆に言えば、デトロイトテクノが今日でいうところの「テクノ」の源流なわけである。そのためにはまずJuan Atkinsという人物を探らねばならない。彼は、安価な電子機材によるビートの自動演奏という手法を確立させた。つまりリズムボックスの使用だ。人間には生み出すことの出来ない規則的なリズム・ループを中心に据えた、工業都市であり低所得者層の街でもあるデトロイトならではの音楽の誕生である。代表的な機材はRoland社製のTR-808(通称ヤオヤ)だろう。今なお現役で使用されているほど愛好者は多い。「YMO『BGM』の製作中にはヤオヤが延々ループしていた」と坂本龍一が述懐している。では、リズムボックス以前の「テクノ」と呼ばれた音楽はどのような様相を呈していたのか。
 ここでも再びYMOにご登場願おう。日本で、最初に「テクノ」と呼ばれた音楽を作り出したバンドである。彼らは『BGM』以前、つまり初期の段階にも自他共にその音楽を「テクノ」と呼んでいた。当時の編成はドラム、キーボード、ベース、ギターと他のロックバンドと変わるところがなかったにも関わらず、である。では、その音楽はどんな特徴があったのか。ひとつにはシンセサイザーの存在がある。弾く人間の腕前ではなく、プラグやダイヤルといった装置によって音色を変える楽器であり、つまり「数値」に統制されるという特徴を持っている。もうひとつはクリック音との同期演奏である。全員がヘッドフォンを装着して、松武秀樹の操るシンセサイザーMoog ?C」の発する発振音を聴き、それに合わせて演奏するのだ。他のロックバンドと彼らが決定的に違うのは、この「リズムを電子機材が担っている」という点である。そして、彼らの音楽が「テクノ」と呼ばれた所以もここにある。つまり、音楽の根幹を電子機材に支配させるという手法が、当時の「テクノ」という概念の元だったのだ。確かに弾き方によって音は変わるだろう。けれども、最も重要な「リズム」を電子機材に任せてしまうことにより、音楽から人間性をいくつか排除できるようになる。この「半肉半機」とも称されるべき状態が電子音楽と「超人思想」とを結びつけるのだ。サイボーグ的な音楽、とも言える。わたしがテクノに惚れ込んでいるのもここに原因がありそうだ。

 今回は以上です。