「ワーズワースの冒険」の巻

 「ペンは剣よりも強し」とは人を抉るという行動に対して与えられた諺だろう。また、かの『葉隠』には「渇く時水を飲むやうに請合せて疵を直すが意見なり」とある。しかも不思議なことに(たった22年間の人生を思い返すと)、意見とは言われた側のほうが記憶しているが言った方はまるで覚えていないものだ。これらをまとめると、つまり人が最も耳に入れないのは「自らの言葉」であるらしいということになる。当然わたしも例外でなく、レポートを書く際に以前書いたものを読み返すのだが、これは内容が被らないようにするためである。わたしは記憶力が人一倍弱いので尚更だ。確かに、プラスの要素もないわけではない。だが、やはりマイナスに向く言葉のほうがショックも大きく、ゆえに記憶にも残るものだ。そのうえ温度差が異なることを得てして考慮に入れることはない。何気ない言葉が相手に決定的な打撃となったり、心を込めて放ったけれど全く響かなかったり。
 問題は衝撃をいかに和らげるか、である。受ける場合は何かしらの捌け口を用意しておくのが最も簡単だろう。わたしの場合は専ら音楽に当たるか、本を読んで鎮めるか、酒呑んで寝るかのいずれかである。音楽の場合は、楽器は弾けないので大音量で聴く。本は快楽的なものを読むと逆に凹む人間なのでむしろ貶めてくれるようなものを選ぶ。そして酒だが、このようなケースの酔っ払いは得てして他人に絡むので誰もいないところで誰とも目を合わせないようにして呑む。もしくは、同様に沈んでいる人間と呑む。心の余裕を得る代わりに経済的、肉体的な余裕を失うわけだが致し方あるまい。逆に言葉をかける場合だが、これほど困難なことはない。ここにおいては、先に挙げた『葉隠』がひとつの答えを提示しているので、わたしはここに従うことにしている。漱石が「とかくに人の世は住みにくい」と述べたのは畢竟、人の世が言葉で構成されているからではないかと考える次第である。最後にわずかなフォローをば。

 ♪「元気を出しておくんなさい」 今はそれしか言えないけれど