「雑音」の巻

 次回のゼミで機会があれば言おうと思っているネタをここに書いておこう。「足音入りの『第九』」に関して。昨今ではデジタル技術によるレコーディング、マスタリングが隆盛しており、ProToolsにはその機能の豊かさ、技術水準の高さから2000年だか2001年だかにグラミー賞を贈られた。「足音入りの『第九』」も同様であり、この「足音」の主は指揮者のフルトヴェングラーの感極まった衝動によるものだらしく、ゆえに雑音としてとらえられ、マスタリングの際に消されてしまったものだという。この逸話と似たエピソードをわたしは知っている。対象は、YMOが初めてオリコンで1位を獲得したアルバム「公的抑圧 - Public Pressure」である。公式アルバムとしては最初のライヴ盤だった。ここに収められたヴァージョンの「東風」は1978年、LAのグリークシアターで演奏されたものだ。しかし、同行したサポート・ギタリスト、渡辺香津美のギターの音が各々のレコード会社の事情(当時、YMOと渡辺の事務所は異なっていた)により消され、代わりに教授のシンセがかぶせられている。この「幻のギター」が世に出たのは実に20年近く経った1997年のことである。ちなみにフルトヴェングラーの足音は40年以上かかったらしい。
 ライヴアルバムは往々にしてスタジオアルバムより質が宜しい。Underworldの最高傑作は間違いなく「Everything,Everything」だろうし、未だにわたしは「Live in Japan」での「Smoke on the water」を忘れることができない(あの時、リッチーは深酒でもしていたのだろうか?)。後に細野晴臣が「最高のテイク」と称した同じくグリークシアターでの「Cosmic Surfin'」は、実はコンピューターと同期していない、つまりYMOの「リズムを機械に委ねる」というアイデンティティを喪失した状況で演奏されていた。しかし、やはりスタジオ録音のそれよりも踊れる仕様なのは否定できない。
 思うに、音楽はその即興性にある種の神髄が宿るのではないか。最もその性質が強いのはジャズだろう。アップライト・トランペットの成り立ちをご存知だろうか。何もあれは音の質や見栄えを良くしようとしてああなったのではない。ただ、偶然にも踏みつけてしまったのだそうだ。ただ、音が出る分には問題が無かったのでそのまま用いられ、今やヴィンテージものの中核をなす存在となっている。ジャズが即興音楽の雄ならば、対極にあるのはテクノだろう。プログラムされた演奏データを再生する音楽である、という特徴による。だが、それとてライヴでは別の音が挿入されたり、スタジオ録音とは似ても似つかないアレンジが加えられたりとライヴをやる所以が存在する。また、Galaxy 2 Galaxy「Hi-Tech Jazz」はジャズとテクノを融合させた傑作であり、「フューチャージャズ」の先駆けとしても名を馳せているが、当然、彼らがライヴをやる際にはサックスやシンセは生演奏である。即興演奏はその名の示すように音楽をLiveさせる手段であり、最も音楽が輝ける瞬間を生み出すのだ。たとえ、そこにミスや雑音があろうと、否、それでこそ音楽はその生命を息吹かせる。

 今回は以上です。