「Breaking Point」の巻

 昨今は猫も杓子もジェンダーであり(そもそもこのカタカナ語の日本語訳はどのようなものになるのだろうか?)我が大学でも連関する特殊講義が開かれているわけだが、やはりメンタルがいかに足掻こうともフィジカルな特徴を超越することは出来ない。所詮男の考えることは女には理解されないし、女の心理を男が把握することもないのである。
 現在、必修講義で花袋の「蒲団」を読んでいて切に感じる。関連書籍として中島京子FUTON」を提示された。これは日本文学研究者である中年のアメリカ人が日系女子学生の煩悶するという、国籍を除けば「蒲団」構図そのままの小説であり、しかもこの主人公たるアメリカ人学者は「蒲団」を書き直すという立場にある。あまりに出来すぎてて笑えてくる舞台の小説だ。この作中で書き直された作品は「蒲団の打ち直し」と呼ばれる。で、問題はこの「蒲団の打ち直し」にある。この講義の担当講師は女性なのだが、わたしにはどうも納得のがいかないというか、歯切れの悪い言及があった。「打ち直し」において、「蒲団」の主人公・竹中時雄の奥さんが、ヒロインの女子学生・芳子の蒲団を片付けるシーンにおいてである。引用してみよう。


> 木枯らしが去り、冬晴れの青い空に風もない朝、
> 竹製の蒲団叩きを一寸の間地面に置いて、美穂(奥さんの名前・筆者注)は
> その天鵞絨の襟をつけた掛け蒲団に、そっと顔を寄せた。
> 一瞬の後、美穂は大きく目を開いて、あらぬ方を凝視した。
> 娘の使っていた香水でも、石鹸でも、
> 年頃の娘の漂わせているいかなる香りとも異なる、
> しかし美穂のよく知る一種むさくるしい匂いが鼻腔を突いた。
> オマエニハワカラン。
> そう言う夫の声と、蒲団の中の大きな背中が脳裏に浮かんだ。
> アノムスメニハ、キヲオツケ。
> 千枝のさかしげな忠告のことも蘇り、美穂は突然に思考力を失う。


 言うまでもなくこの「天鵞絨の襟をつけた掛け蒲団」とは時雄が顔を埋めて泣いた蒲団である。ここにおいて講師は「美穂のよく知る一種むさくるしい匂い」をして時雄の芳子に対する想いに気が付いた、と解説した。そこまではよろしい。が、問題はその後である。どうやら彼女はこの「匂い」を時雄の体臭であると考えていたらしい。確かに酒や汗や煙草の入り混じった匂いとも考えられるだろう。しかも彼女自身、この解説に対して「一回泣いただけで体の匂いがつくとは考えられない」とも付け加えている。わたしは、心の裡でなぜそこまでわかってて体臭だと思うかな、と呟いた。花袋「蒲団」のラストにはこうある。


> 夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、
> 心ゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。
> 性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。
> 時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、
> 冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。


 言わずと知れたシーンだが、どうやら講師の頭の中ではここで終わっていて、このまま「FUTON」へと話が続いているのだろう。だが、物理的に考えても人が(長く見積もっても)一晩かけた蒲団にその人の体臭が染み付くとは考えにくいし、そもそもこの蒲団は竹中家のものなのだから時雄の匂いがしたところで美穂は芳子への情欲を感じ取ることはないだろう。これらを総合して考えると、匂いの元はひとつしかない。精液である。時雄の情感は蒲団へ顔を埋めるだけでは治まらなかった(と、アメリカ人学者は考えた)のだ。確かに、恋の対象である人物の衣服を用いた自慰というのは倒錯の感があるし、女性にはもしかすると蔑むべき行為やもしれない。しかし、ここには紛れもなく文学(を始めとするあらゆる事象)に対する、性別における限界が窺える。いかにジェンダー論を振りかざしても、実際の「性」を把握し理解することは不可能であり、また性別の問題は、畢竟、論にできるほど生易しい問題ではないのである。付け加えるが、わたしはジェンダーに関する研究そのものを非難するつもりはない。しかし、その限界はこうした小さな事例にさえ象徴されてしまうものだ、と述べたいだけである。

 今回は以上です。