「希少価値の逆転」の巻

 NHK総合サラリーマンNEO」は見られる週なら可能なかぎり見るようにしている。NHKがこれほど真っ当なコント番組を作ってしまうとは正直信じられなかった。そのうえ「はたらくおじさん」「明日を読む」といった番組のセルフパロディや他局、つまり民放局のパロディまでもやってしまう。コントは「サラリーマンの生活」を題材にしているというテーマ以外は特に制限もなく、単発ものやシリーズものを織り交ぜた豊かな編成である。質も決して悪くない、どころか、お笑いユニットを使いまわす他の番組よりもずっと宜しい。しかも番組開始から25分間、ノンストップで見せてくれる。要するに、年末の同じ時間帯に「ゆく年くる年」をやっているあのお堅い半官半民放送局の陰がほとんど見当たらないのだ。
 これは由々しき逆転現象である。以前、民放で「日本ジツワ銀行」というテレビ番組があったがこれに近いものを感じる。この番組は視聴者から送られてきたメールや葉書を出演者が読んでリアクションするというのがメインの流れなのだが、これは深夜のラジオ番組とほとんど変わらない。テレビもここまで追い込まれたかと感じた次第である。さて、「サラリーマンNEO」における逆転とは何か。それは民放では失われた純粋なコント番組をNHKが作ってしまったということである。なんとなく民放のお笑い番組を眺めていると料理の企画やら旅の企画やらをなぜか放映している。「果たしてこれは何を放映したいのか?」という疑問が浮かぶこと間違いない。コント番組といえば異口同音に「8時だヨ!全員集合」を挙げるのだが、あれだってゲストの歌が入るという意味では純粋ではない。やはり「オレたちひょうきん族」以降からと見るのが妥当だろう(『懺悔のコーナー』は確かに懸念すべきところがあるけれども)。やや逸れたが、つまり「サラリーマンNEO」は「お笑い」から最も遠いところにいたはずのNHKがあまりに純粋なコント番組を作ったという逆説的存在なのである。
 「なぜこのような番組を作ろうとしたのか」は知れないが、「なぜ純粋なコント番組になったのか」は想像がつく。そしてその理由はすべて「NHKだから」という一言に集約される。まず、なぜコントだけを25分間やっていられるのか。それはスポンサーを気にしないから、もっと踏み込めばTVCFの不要性がゆえである。決められた時間内に放映すべきCMの本数は定められているし、それに合わせて番組を収録し編成しなければならない民放に比べ、NHKは受信料の半強制徴収という手段を用いているために自由に時間配分を行なうことが出来る。また、なぜコントという手段のみで構成されているのか。それはお笑い芸人を使わない、もしくは使えないからだ。時はお笑いブームでありおそらく「芸人」たちのステータスは数年前より格段に上がっているだろう。そしてギャランティはステータスに正比例する。結果、俳優陣を起用せざるを得なくなり、匿名性の高い「コント」という手段をとるしかないのである。NHKはこの点において自らの立場を利用している(とも考えられる)。おそらく「NHKの番組に出演する」というのは俳優にとってある種の経験値的価値があるのではないか。夜11時という時間に宝田明平泉成といった大物が、しかも数分のコントに何の理由もなく顔を出すとは思えないし、また(再び金の話になって申し訳ない)それだけのギャラを支払えるだけの制作費が深夜枠に与えられているとも考えられない。「NHK」という看板はここで力を発揮している。
 つまり、「サラリーマンNEO」とはあまりに純粋でありながら、しかしNHKにしか為し得ないテレビ番組なのである。というわけで観るべし。受信料もったいないでしょ。

 今回は以上です。