「低音」の巻

 バスドラムは、おそらく最も低い音を出す楽器である。これが生まれる以前、いわゆる古典音楽においてはそれこそティンパニやらバスやらという低音担当楽器が存在していたが、バスドラムはそれを一気に、そして圧倒的に突き放して低い音を出してしまった。低音とはつまり暗い音である。けれども、クラシックに悲哀や恐怖はあっても憂鬱はない。果たしてバスドラムを用いた音楽は当初ブルースと呼ばれることとなる。
 ブルースの誕生以降、ジャズ、ロック、ファンクと様々のバンドサウンドバスドラムは重宝された。クラシックには決して体現できない超低音が、流行の古典に対して拮抗できる唯一だったのかもしれない。しかし、バスドラムにはその先があった。それまで一小節に三つまでしか存在しなかったバスドラムに四つめの居場所を与えてしまった音楽がある。それはハウスと呼ばれた。シカゴに発祥を持つハウスは、ドラムマシンを用い、しかも「四つ打ち」と呼ばれる、4分の4拍子のすべてにバスドラムを配置するというオリジナリティで世界を席巻した。ブルースロックに於いてはだいたいバスドラムは一小節にふたつであるから、ハウスはロックの倍の憂鬱を抱え込むという計算になる。その理由が「ブラックミュージックであるから」としたところで何の異論があろう。
 デトロイトテクノオリジネーターとして有名なジェフ・ミルズは2005年に、フランスのモンペリエ国立管弦楽団と共演した。彼の楽曲を譜面に起こして(電子音楽は基本的に譜面にしない)楽団にメロディを任せ、彼自身は往年の名機であり、80年代以降の電子音楽を支えてきたRoland TR-909CDJKORG Electribeを操るという画期的なライヴである。それは、ここまで読まれた方ならお気づきだろうが、クラシックにバスドラムが投げ込まれたという点においても革命的であった。残念なのは、これがクラシック音楽バスドラムを用いたのではなく、バスドラムを用いた音楽をクラシック楽器で再現していたということだろうか。畢竟それは古典に超低音が組み込まれた、というわけではない。
 バスドラムクラシック音楽との融合、それは要するに古典に「憂鬱」という新要素が加わることである。音楽は、「完成されている」とされる古典にさえ、再考の余地がある文化である。

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