「軌跡と諦念 - 『beatmania』雑感」の巻

 以前わたしの映像文化の三割はレンタルビデオだと書いたが、それに音楽を倣わせれば音楽経験の一割はビデオゲームbeatmania」にある。いわゆる「音ゲー」の先駆者的存在だ。わたしは家庭用の最初期(プレイステーション用ソフト『beatmania 2nd MIX』)のプレイヤーだった。このゲームで遊んでいなければ、テクノやハウス、ヒップホップといった電子音楽への埋没はもう少し遅かっただろう。ゲーム音痴であったためほとんど腕前は上達はしなかったけれども、音楽という側面においては食指を動かされた。中でも「OVERDOSER(Driving Dub Mix)」を推していたが周囲の賛同は皆無に等しかったように思う。が、飽きっぽい性なのでゲームからはどんどん離れていった。わたしの中高生時代といえば「音ゲー」全盛期であったのにもかかわらず、である。けれども音楽だけは残った。プレイできるほとんどの楽曲(すべてではないのが非常に惜しまれるところだ)を収めたサントラ盤を、わたしは何度も聴き返した。「4th Mix」以降、ついに電源を入れることもなくなった。
 しかし。何かの機会に(当時の)最新作「beatmania?DX 3rd Style」のサントラを手にしてから再びわたしはbeatmaniaの世界へ足を踏み入れることとなる。かといってプレイヤーとしてではなく専ら「リスナー」、つまり音楽の側面のみにおいて接近した(こういう人は実際にどれだけいるのだろうか。非常に気になるところだ)。当時はエピックトランスの黎明期であり、わたしもアナログ盤を求めて渋谷へ通い始めたということもあっただろう。それから「12th Style」までサントラを買い続けた。いわばbeatmaniaのサントラはわたしにとってサンプル的存在で、二分程度に細かくエディットされた楽曲を一枚で三十数曲聴けるという利便性で求めていたのだろう。
 このゲームの皮肉であり、最も惜しむべき点は音楽とビデオゲームの融合を目指していたはずなのに、むしろ音楽ファンとビデオゲームファンの乖離を顕在化させてしまったことである。中にはフロア向けとしても問題ないくらいの楽曲もあるが、全くビデオゲームに触れない人間が果たして現在のbeatmaniaに感応できるかというと首を傾げたくなる。その度合いは回を追うごとに濃度を増しているのがサントラを聴くだけでなんとなく伝わる。所詮ゲームはゲーム、音楽は音楽なのだという諦めにも似た結論を導くに過ぎなかったというのは(当初に発表されていたコンセプトから鑑みれば)残念というほかないが、そう結論付けざるを得ない。あまりに沈んだ気分になったので2nd MIXのサントラを聴きなおしてみようと思う。

 今回は以上です。