「使い方と立ち位置」の巻

 PANIC! AT THE DISCOを初めて知ったのは確か去年の初夏あたりだったはずだ。ベストヒットUSAを観ていてGwen StefaniやらKanye Westやらに混じって画面に出てきた「I write sins not tragedies」のビデオに圧倒された。わたしはミュージックビデオそのものが好きなのだが、あの数秒間の内容だけでも「なんか面白そうな映像があるらしい」ということがわかった。後にフルヴァージョンを視聴してCDを買った。二つ目の衝撃は二曲目(最初のトラックはイントロダクションなので、実質はこれが一曲目か)「The only difference between Martyrdom and Suicide is Press coverage」を聴いたときである。曲中で突然バンド演奏からシーケンサーへ移る箇所があるのだが、その繋ぎ目が実に粗いというか屈託なく行なわれていた。しかも「生音」志向のシーケンスではなくテクノ以外の何物でもないといったようなバスドラ四つ打ちだった。「何がしたいんだこいつらは?」というのが第一印象である。たとえばスケボーキング「magic moment...」にもドラムンベースの曲があったりしたが、まともなギターロックと90年代テクノをこうも適当に詰め込んだ連中をわたしはそれまで知らなかった。
 たとえばボブ・ディランエレキギターを携えただけで散々罵られていたが最近はそうでもないらしい。だが、結局エレクトロニックミュージックとバンドミュージックは別個であり、いずれかに核を据えている以上、いずれかのスタンスでもって表現することしか出来ない。わたしはヒップホップやテクノを軸としている(のだろう。少なくともサンプラーを選んだのだから)ために、たとえばギターの音を加えたところでワンコードでも満足してしまう。Dr.DASやトム・ジェンキンソンがリズムボックスよりもサンプリングしたドラムループ素材を用いるドラムンベースの方法で音楽を作るのも、彼らがバンド出身であることの証左ではないか。
 現在、PANIC! AT THE DISCOは次のフェイズへ移行しようとしているらしいが、彼らの動向が気になるのはいよいよその核が見えそうだからだ。セカンドアルバムというのは、アーティストがより自身へ視座を据えて作られることがほとんどだからだ。深化した音は実に粗雑だったり単純だったりするが、彼らのオールドスクールがどんなものなのか楽しみではある。彼らがいわゆるネクストレヴェルであるのか、それとも数多存在するロックバンドに埋没するのか。