「戦友」の巻

 わたしの実施している教育実習ではひとつの会議室を実習生の詰所にしており、専科的要素が強いような教科でなければそこを活動の拠点とすることになっている。二週目ということでいよいよ全員が実際に教壇に立っているわけだが、現在の控室は野戦病院さながらである。言い換えれば教壇に立つことの厳しさに打ちひしがれた連中の溜まり場である。ということは自動的にここでの会話はオフレコとなり、発言や思想、考えは門外不出だ。それくらい実習生各位は疲れきっているのだ。
 もちろんいいこともある。生徒がこちらの問いに答えてくれたり、思いもよらぬ別の解を導いてこちらの視界を広げてくれたりとそれは枚挙に暇がない。この喜びだけでも報われるというもので実習を先延ばしにされている諸君はこの視座においてなんとなく可哀そうでもある。けれども、かくいうわたしも実際は大いなる無力感に苛まれているところで、控室に戻ったら速攻で頭を抱え、自身の教材研究に使ったノートをチェックし直し、それらがいかに消化できていない授業だったかを反省する。酒を呑むのは当然ご法度なのだが煙草も喫めないのでひたすら鬱々と過ごし、再び授業へと向かう。同僚も変わらず、ここでは書けないくらいネガティヴな文句を並べている。もちろんそれが全員ではなく、たまに明るい話題を持ってくる誰かによって肖りたい一心でほぼ全員が彼の話を聞く、ということもないではない。あとは馬鹿話だ。
 人間の記憶は器用なものでポジティヴなものほど残りやすく対してネガな考えは軽いものなら比較的簡単に消える。百のマイナスがあっても一のプラスがあれば精神を持ち直せるものだ。確かに教壇に立つことは、特に経験のきわめて薄いわれわれ実習生連中にとっては多大なプレッシャーと重厚な後悔とを生み出す糧となる。同病相哀れむといえば確かにそうかもしれないが、それを少しでも軽減するために共同の控室というシステムがあるなら結構素晴らしいことではないかと思う。