選別の瞬間

休みの日が雨だと昔の記憶がよみがえってきて困る。

「困る」というのも筆者の記憶はおおかた良いものではないからだ。

本日は小学校〜大学時代までに味わった最悪のイベントを思い出した。

それは「自由にペアを組んでください」という指示である。

対人恐怖症一歩手前だった筆者にとって呪詛にも近い響きを持つ言葉だ。

最初にその言葉に出会ったのは小学校の社会科見学の際だった。

確かバスの座席を決めるとかなんとかでその指示が飛んだ。

今思うにあれは、人生においてコミュ力が判断される最初の機会ではなかろうか。

もっと言ってしまえばリア充と非リア充とが選別される決定的瞬間なのだ。

あれは学級内でのカーストが浮き彫りになるイベントとも表現できるだろう。

当然のように筆者は売れ残ってしまい、しかもふと見ればもうひとり売れ残りがいる。

かくして出来たペアの間に流れる妙な遠慮と内面に渦巻く失望。

あのとき筆者は「妥協」という行為をすでにわが身をもって思い知ったのだと思う。

自覚こそないが自分は非モテでありコミュ力の欠如した人間だと認識した。

するとそんな認識がさらなる人間的斥力を発生させ、次のイベントでもあぶれる。

まさに悪循環である。そんな鬱々とした少年に朗報が訪れたのは

彼が少年というにはいささか年を取ってしまった大学生の時分。

いわゆる学級が存在しないし団体行動もほとんどない。

「二人一組」の呪縛を逃れられるという事実は福音に違いなかった。

はずだった。

ご存じのとおり大学生活においてもグループ学習は存在するわけで、

作り笑いこそ上達したがそのたびに筆者は胃を痛めてきた。

もちろん、四年間を通してサークル活動に身を入れるなんてこともなく現在に至る。

おそらくこういう人間はそこそこ棲息していると思うので

コミュ力育成機関でも作ればひと儲けできそうな気がするのだが……。