「1984年」の巻

 現代史に初めて触れたのは小学三年生の時分だったが、大いに落胆した。というより、1983年に嫉妬した。東京ディズニーランドYMO散開(当時はこれは眼中に入らず)もみな1983年である。ファミリーコンピュータは1985年だ。クラスみんなして担任教諭に「1984年には何がありましたか」と訊くと「さあ?」という気の抜けた回答が返ってきたのをよく覚えている。つまり彼女にとって1984年とは味気ない年だったのである。私の心に「1984年は何も無かった年」と刻まれた瞬間だった。
 それから数年の後、「週刊20世紀」という雑誌が刊行される。20世紀の一年一年を毎週振り返ってくれるのだ。私は1984年をひたすら待ち続け、立ち読みして次号予告を毎週書店で確認していた。かくして1984年号が刊行されると書店へ急いだ。
表紙は「かい人21面相」のモンタージュ写真だった。続いて植村直己の世界初マッキンリー冬季単独登頂と失踪の記事がある。1984年は映画の年でもあった。邦画では「風の谷のナウシカ」、洋画では「グレムリン」(スティーブン・スピルバーグの映画制作会社『アンブリン』の一作目)が生まれている。紙幣の新札発行もこの年である。また、浅田彰の「逃走論」が刊行され「スキゾ」「パラノ」という語が流行した。「構造と力」が1983年なのがやや残念ではあるが。
また、この雑誌は日付ごとにその日のニュースを一行ずつ紹介してくれる。1984年9月10日には「松下電器が毛筆で似顔絵を描くロボットを公開」とあった。
 この雑誌を手にしたとき、何となくだが自身を取り戻したような気分になった。それは今でも本棚の一部を占めていて、時折引っ張り出される。