「不思議の国のロード・オブ・ザ・リング」の巻

 地上波放映で一作目を観た際に、これほど驚嘆した映画も無かった。それはこの映画が「遍く」「一般に」広まったという事実に首を傾げざるを得なかったからである。ある時期、私はファンタジーの世界にどっぷり浸かっており、多少の基礎知識を得ていた。ゆえにハリー・ポッターにも興味が湧かずに通過した。というか、未だに映画にも小説にも触れていない。以上を踏まえて、家人と件の映画を観たときのエピソードをご紹介したい。
 偉大なる魔術師(らしき人物)が出現するくだりで。

 「でも何で名前に支配とか関係あるのかねえ」

 は?である。名前とはその存在と存在自体の概念との証明であり、それを知られるということは支配下に置かれることと同義だ。「ゲド戦記」に詳しいではないか。っちゅうかファンタジーの基本でしょそれは。
 続いて城門から多数のクリーチャーが軍となって行進するシーンで。

 「しかしこのゴブリンが全部CGだってんだからねえ」

 あれはオークだ。ゴブリンがあんなに背が高いわけがない。そもそもゴブリンというのは人間に支配できるほど頭は悪くないし、ゴブリンが軍を組むとしたらその統制はゴブリンにしかありえない。一方、オークは知識がやや乏しく筋力がとんでもないので人間の支配する軍隊や鍛冶などをして暮らすのが一般的である。
 続いて一作目のラストにて。

 「エルフと弓とかヒゲと斧とか関係なくない?」

 おおありである。エルフといえば射手。これも基本だ。あとヒゲじゃなくてあれはドワーフである。小人族の一種で、ヒゲやらぼさぼさの髪の毛やらが身体的な特徴として挙げられる。また、彼らは鍛冶を営んでおり、鎧やら斧やらを武装する。
 家人は以上のようにファンタジーの知識は皆無であるが、それでも終わった頃には「面白かった」と言っていた。不思議だ。不思議でならない。一体何が面白かったのだろう。曰く「映像とか音楽とか迫力があった」とのこと。

 ……。

 つまり、この映画が世界中で大々的にヒットしたのはそのストーリーではなく映像美だとかCGの技術であると邪推できるのだ。畢竟、映画なんてそんなもんである。