「為事」の巻

 今回のレポートも18歳以上推奨になりそうです。これだから文学ってやつは……。資料のために新しくコミュニティに参加しました。ここから何が得られるかは知れませんが、今回のレポートにおける「自身の意見」のセグメントを構築するために必要なものなので便宜的に参加します。意見交流をROMするだけなのですけど。方向性としては「陰翳礼賛」「風姿花伝」それぞれの核となる思想をクロスオーヴァーさせたようなものでしょうか。結局、レポートというのは自身のその環境おける現状を投影していることが最低条件(さもなければ『自身の意見』の構築は不可能)なので、まあ、こういう嗜好を理解するのも必要なんじゃないかと。好みに合うかどうかは別として。ちなみに私はスカトロジーとその理念を多少理解してはいますが、嗜好そのものには全く興味がありません。今回もそんな感じです。「蓼食う虫も好き好き」であります。
 国文学科、というか大学生の仕事とはつまり「論理化」あるいは「文章化」であると把握しています。ありとあらゆるものをロジックに置き換えることが第一目標なのです。これがなかなか厄介で、例えば私がYMOを愛することについて論理化するとなると、これはもう膨大な作業量になるのではないでしょうか。「好む」ではなく「愛する」という行為に関しては、具体例として惜しみなくYMO関連に散財していることが挙げられますが、それはあくまで具体例の域であり、普遍たる「Logic」では到底有り得ないわけです。例は所詮補足要員、付属品でしかないという。ここで最も論理化しづらいものは好悪であることが何となく窺えましょう。特に第一次欲求における好悪は。枕が変わると眠れなかったり、肉類が受け付けなかったり、指先にえもいわれぬ性的興奮を覚えたりというのは畢竟嗜好、好悪であります。これはまず無理でしょう。理由としては、第一次欲求は得てして理性に先行することが挙げられます。第二次欲求を司る理性は、当然「論理」という行動そのものもその手中に収めているでしょう。ゆえに第一次欲求は「論理化」し得ないという結論が導かれます。が、昨今はその逆転も充分有り得るのです。例えば拒食症。第一次欲求が活発であれば。或いは視床下部が何らかの理由で機能不全を引き起こしたりしていなければ、このような症状は存在しないはずです。現代とは、理性が本性を凌駕しうる時代と言えましょう。ここにおいて、不可能と定義した「好悪の論理化」に兆しが見えます。そこをこじ開けるのが我々の仕事であると、私は認識しています。