「厭世観と厭世」の巻

 某講義の講師は我々の先輩にあたる。つまりこの大学を卒業し、今度はこの大学で飯を食ってるわけである。彼は自身の大学生活を振り返って語った。夏休みに新潮文庫を大量に読み漁ったこと。真の大学生とは講義時間外に勉学に励むこと。大学だけではなく、どこか別の場所で体験を積むこと。

 彼の話を聞きながら笑いをひた隠す私が居た。

 そんなものは「金持ちの子息」である大学生の言い分である。彼の父親は高校の教員らしいが、納得だ。私のような低所得者層の第一目標は「食うこと」であって「勉学に励むこと」ではない。大学とて将来における食糧の種を蒔いている作業に過ぎない。講義時間外の勉学?んな暇あったら寝て体力を温存しますよ、である。所詮大学なんてものは趣味の範疇であり、大学生とは趣味人でしかない。レポートの考察を深めるために図書館へ向かうのも、サークルに入って夜毎酒に溺れるのも、私にしてみれば限りある人生を浪費しているという点で同等なのだ。「お前、何しに生まれてきたか 税や利息を払うため」と唄ったのは高田渡だが、まったくもってその通りである。支払うために働き、支払うために学び、支払うために支払う。要は食っていければそれでよろしい。大学で何か大事なものを手にしようとか一生の友人を作ろうとか、そんな陳腐な目標はブルジョアジーの酔狂である。すぐ近くで炎天下、道路工事に励む人々がいる。一方、その横で画面に向かいながら文字を打っている人間がいる。生産性を人間の価値とするならば、果たして有能な人物とはどちらであろうか。
 優等生とは、果て知れぬ深淵に向かってしかめ面をしながら釣り糸を垂れている穀潰しであり、落第生とは、虚ろな笑顔で一瞬一瞬を享楽で埋め尽くそうとする穀潰しを指す。双方に優劣の差は無い。前者は遍く世間を知らないがために呼吸の仕方も知らずに野垂れ死に、後者は世間を多少知りつつもそれを上手く活かせないがために犬死にするのである。一人で米を食えるようになってから、人間は人間足りえるのだ。その日まではウジ虫だ!地球上で最下等の生命体だ……と、これはかのハートマン軍曹のお言葉である。蓋し、名言。