「お笑い芸人雑感」の巻

 昨今はお笑いブームとか何とかでテレビを見ていても5分に一回はお笑い、といった塩梅で食傷気味である。父は別に何もすることがないので日がな一日テレビを見て、やはり5分に一回笑っている。浮世のしがらみとは無縁の人間であり、即ち幸せものだ。そもそも、わたしにとってお笑い芸人という職業は最も蔑むべき対象のひとつである。なぜか。
 まず、第一にそれを生業とせんとする意志が理解できない。
笑いとは人間特有のアクションであり、ゆえに最も強制的に引き出しにくいものだ。「特有」「差異」は人間以外のものにおいては法則を発見する契機となり、物事を単純化してくれるが、人間が絡むと感情という非常に厄介な不確定的要素が介入するのでその単純性は逆転する。従って、人間固有の状態である「笑い」とは人工的発生が最も困難なのである。さて、これを出汁にして金を得るのだから非効率的極まりない。そんなことをしなくても金を手にいれる方法はいくらでもある。以前にも触れたが、人間の価値は第一に経済力である。これは金がすべてというわけではなくて、人間の価値を端的に、かつ、普遍的に数値化するために有効な便宜であるがための定義なのだ。身長の値が大きかったり、腰回りの数値が小さかったりなどは何の目盛にもならない。この点においてもお笑い芸人は不憫というか愚かしいとしか思えない。以前にテレビで養成所に通う人々を見たが、彼らはここまでの論に照応させれば、烏合の衆であることは言うまでもない。ありもしない才能を錯覚した暇なブルジョアジーである。
 続いて、芸に携わる人は自身の価値観を他者に提示する人である。笑いとは千差万別である。それを押し付けようというのだから、お笑い芸人ほど身勝手なタイプもいないだろう。大体、お笑いとは「世間がつまらないでしょう。わたしが面白くしてあげますよ」という非常に非自律的な理念に基づいている。余計なお世話だ。わたしは世間がつまらないなんて思ったことはないし、芸人風情に手を借りてまで笑うほど多くの人間は落ちぶれてはいまい。これも彼らの自身に対する過剰な期待による。つまり「笑わせてあげよう」という身勝手な親切だ。大きなお世話である。わたしは笑いたければ勝手に笑うまでだ。何故他人の手など借りねばならないのだ。
 以上を踏まえて、お笑い芸人とは稼ぐ手段の最下層なのである。