「電波塔」の巻

 ASIAN KUNG-FU GENERATIONに「電波塔」という曲がある。ファーストアルバム『君繋ファイブエム』の三曲目であり、シングル曲だった「未来の破片」の次に配置されている。序盤は正統派ロックなのだが、一回目のサビが終わると何故かベースパートが抜けて軽くなり、すぐにドラムも消えてアコースティック・ギターと歌だけが残るという何とも奇妙な編成なのだ。のみならず、そこから16分スネアが入って元のロック調へ戻るのである。「アコースティック・ギターと歌だけ」の部分の歌詞はこんな感じである。


> そうだ言葉で確かめてもっと僕の声
> 途絶えそうな僕の心が空気に触れて永遠に消える
> そうだ言葉で確かめるもっと君の声
> 聞こえるよ君の心が空気に触れて僕に届く


 昨今はケーブルテレビによる多チャンネル化、ブロードバンドの普及など、配線が大いに活躍している時代である。そのせいか、何もかもが繋がっているように見えて、世界が収縮したような印象を受ける。確かに繋がりは大事だ。繋がってこそ人は生きていられる。でも少し味気ないような気がしないだろうか。今でこそインターネットでアメリカの最新ヒットチャートを知ることが出来る。しかし、たった35年前まではトランジスタ・ラジオから流れてくるFENがすべてだったのだ。耳に入ってくるのは辛うじて数単語が理解できるDJの喋りと、歌詞の意味は分からないけれど、とにかくカッコいい音楽である。
 要するに配線の功績は情報の詳細化であり、それは同時に功罪でもあったということである。必要でない情報さえも明確に提示してしまうので、わたしたちの空想が入り込む余地がないのだ。しかも、肝心なのはディスプレイがあまりに立派なので「真実」にすら見えてしまうことである。また、ラジオや無線にしかない作業としてチューニングがある。つまりこれは積極性だ。自主性、主体性とも換言できよう。ケーブルはとめどなく情報をわたしたちに提示するので、選択する暇がなくなり、極めて受動的な「情報収集」という構図が出来上がるわけだ。もうひとつ、発信する側もそれなりの配慮を必要とするということを忘れてはならない。アンテナが機能していなければ電波は上手く飛ばないだろう。端子の接続だけでは不十分なのだ。風に煽られるだけでも発信状態が悪くなる場合もある。こうした「電波塔」的なコミュニケーションが現在には必要なのだと考える次第だ。それに、「発信したい」という気持ちが電波に乗って空中を飛び交っていると思うと何となくロマンチックではないか。