「ホスト及び風俗に関する短い考察」の巻

 ホストという職業はあらゆる労働の中でも過酷を極める重さがあると思う。このあたりを機会があったら是非「八王子の夜の帝王」こと土田社長に伺いたいものだ。まず彼らが凄まじいのは仕事で酒を呑まねばならないことである。これは酒が好きな人間にとっては地獄の責め苦に近い。呑むこととはそもそも仕事の憂さ晴らしという第一条件があり、酒とはプロキシ・ドラッグとして服用して然る後に酩酊を覚えて翌朝便器の前にへたれこみ自身の怠惰を痛感するためにあり、要するに仕事とは対極の存在なのだ。これを業務としてこなすのは非常に重労働である。しかも客のペースに合わせて呑まねばならない。酷すぎる。つづいて、好きでもない奴と酒を呑むという事実も哀れだ。ただグラスを傾けていればいいというものではない。常にご機嫌をとり、煽動しつつ、それでも主導権を握っていることは明らかにしてはならない。また、どんな客が来てもいいようにあらゆる情報を仕込んでいる必要もある。舌先三寸とい言葉があるが、彼らの舌先ほど鍛え上げられたものはないのだ。彼らが月収をン百万もとっていると聞いて信じられないという人もいるが、わたしは当然だと考える。無理に愛想を振りまいてご機嫌をとって呑む酒がいかに不味いかということ、そしてその苦しみを業務中には決して吐き出さない彼らの忍耐と努力とを鑑みればその報酬は相応である。
 風俗嬢という職業も過酷だ。ホストは自身も酒を服用することによって客と快感を共有できる(それでも客との比率にしてみれば微々たるものだろう)が、彼女たちにそれはない。一方的に与えるのみである。不憫でならない。しかもホストと違い、粘膜的接触があるのだ。例え対象が老いきった肥満体であっても彼女らは否応なしに応対せねばならない。肉体関係の相手を選別を出来ないことに果たしてどれだけの苦しみがあるだろう。ところで、わたしが知らないだけかもしれないが、このような職種は昨今、専ら女性主導のように感じられる。以前にも女性向けアダルトビデオがメジャーでないことにも触れたが、これはどういうことなのか。男性が主演する作品もあるにはあるが、総じて同性性的嗜好者を対象に生産されているものしかわたしは知らない。思うに、男性のほうが貞操観念が強いのではないか。自身が肉体であることに臆病なのだ。これは単純に月経という生理作用が連関していて、つまり、女性の場合は強制的に自らが肉体でしかない瞬間を経験させられるのである。軟らかな表現にすれば、空想と現実とを無理やりに引き剥がされるのだ。男性の場合はそのあたりがどうも曖昧であり。ゆえに身体を差し出すことが出来ないのだと考える。身体は身体、心神心神、という割りきりに弱いのだ。もっと言えば妄想癖のあるロマンチストである。これは別に女性が無味乾燥なリアリストだと言っているのではなく、男性よりシリアスに心身という機関を受け止めているということだ。