「progress-eve」の巻

 四人囃子をご存知だろうか。頭脳警察のバックも務めた、日本のプログレッシヴ・ロックを代表するバンドである。後期にはテクノポップな感じにもなったが、音そのものや曲の構成はプログレ洋楽な印象を受ける。ところで、プログレといえばやはりKing Crimsonである。空前絶後の傑作にしてデビューアルバム、「クリムゾン・キングの宮殿」は現在でもなお、初めて聴いた人にもれなく衝撃を与えている。彼らが革新的であったのは音も確かに理由のひとつであるが、歌詞もまたその要素を担っていた。つまり、Peter Sinfieldの功績である。参考として名曲「21世紀の精神異常者」の歌詞をここに引こう。


 Cat's foot, Iron claw
 Neuro-Surgeons screams for more
 at paranoia's poison door
 21st ceentury schizoid man

 Blood rack, Barbed wire
 Politician's funeral pyre
 Innocents raped with napalm fire
 21st century schizoid man

 Death seed, Blind man's greed
 Poets' starving, Children bleed
 Nothings he's got really needs
 21st century schizoid man


 忍び足、鋼鉄の爪
 神経外科医は偏執狂の入り口で手術を叫ぶ
 21世紀の精神異常者

 血塗られた拷問台に有刺鉄線
 政治家を火葬する薪
 無垢なる者はナパーム弾に強姦される
 21世紀の精神異常者

 死の根源、亡者の強欲
 詩人は飢え、子どもたちは血を流す
 求めるものはひとつとして手に入れることなく
 21世紀の精神異常者

 (邦訳は筆者による)


 The Beatles全盛の時代に吹き込まれたこの歌詞はそれまでのロックには存在しない概念を持っていた。語句そのものが具体性を持っているけれど、大事なのは全体が醸す雰囲気である。逆を言えば、単語ひとつひとつはそれほど力を持っていない(意味不明ということ)のだ。が、それらが集まり詩となることによって世界が浮かび上がる。こうした歌詞を書くバンドで、四人囃子より有名な存在がある。それは「たま」だ。
 アコーディオン、ギター、ベース、パーカッション(鍋や風呂桶など)という編成もさることながら(ライヴをテレビで観たときに当時は小学生だったが、妙に興奮したのを記憶している)、その詞は実に幻想的である。ファーストアルバム「さんだる」は彼らの色が濃く出ている一枚で、かろうじて柳原幼一郎(現在は『陽一郎』)のポップセンスが明るくしている危うさも魅力だ。アコースティック・サウンドでありながら陰鬱な混沌を演出する、世界でも数少ないバンドである。その空気が最も強く噴き出している「らんちう」を引用したい。ここには和製Peter Sinfieldとも言うべき知久寿焼(ギタリスト)の才能が光っている。


 あんまりのこころさむさに 裏庭をほじくりかえしてると
 かなしい色の水がわいて あるふれるばかりの水がわいて
 誰も知らなくなっちゃった 遠い砂漠の隊商が
 行列になって汲みに来るよ

 月夜の公園の鉄棒で 見知らぬ子どもたちが並んで
 ななめ懸垂しているよ ふくれあがった月の夜だよ
 ぼくたち栄養が足りないのです 半分消えかかったからだで
 ななめ懸垂しているよ

 魚でいちばんかなしい金魚 金魚でいちばんかなしいらんちう

 夕暮れの空に金魚を追いかけ ぼくらは竹竿みたいな脚を
 土手に突き刺してさまよった ぱきぱき音立ててさまよった
 景色が真っ赤っ赤にはれちゃった そんなさびしい上空で
 金魚の記憶が泣いてるよ 金魚の記憶が泣いてるよ


 歌詞も当然だが、その演奏も「21世紀の精神異常者」に優るとも劣らぬ音を生み出している。初めてこれを聴いたときは訳もわからず、ただ圧倒されたものだ。ヘンデル「Messiah」のときとほぼ同じくらいの鳥肌が立ったと思う。歌詞を読み直して再び転げまわった。収録されている楽曲すべての詞を読んだが、確かにどれも幻想的ではあるけれど、いずれも「らんちう」には及ばない。ひょっとすると、たまは最もメジャーな日本のプログレ・バンドではなかったか、と感慨に浸る今日この頃である。