「鼓動」の巻

 横浜の地へおよそ10年くらいぶりに降り立つ。渋谷から一本で元町へ行けることに時代を感じる。当時は小学生だったために中華街で何か食った(しかも何を食ったかも覚えていない。その後のラー博ならなんとか)程度にしか記憶が無い。まずは坂を上って「港の見える丘公園」へで港を一望。汐留はいわゆる新進的テクノポリスであったが、こちらは言うなれば歴代的テクノポリスである。すべてが人工機械的正確さで動いている。ちょっと戻ってバラ園へ。すでに枯れ落ちてしまっていたが香りは健在だった。この時期でこれなのだからシーズンには鼻がもげてしまうのではないか、と考えてしまうほどのアロマが広がっている。そのままイギリス館を見学し、調度品の美しさに驚嘆する。また、ドアノブが若干高く、自身が低身長で脚の短い日本人であることを痛感した。道路を渡って外国人墓地を臨む。なんと虚無感の少ない墓地だろうか。坂を下りて中華街へ。3メートルおきに甘栗と饅頭が売られているという奇妙な一角である。真っ先に頭の中で鳴ったのがクレイジーケンバンドであったことに苦笑した。いくらなんでもベタすぎやしないか。パイコー麺でも食ってみようかと思ったが、別に空腹というわけでもないのでやめた。わたしはあの八角とかいうスパイスが苦手なのだ。さて、外観はおぼろげな記憶を辿っても10年前と変わっていない。あの門も料理屋の喧騒も怪しげなレコード屋も。しかし、冬菜の壺漬けを売っている店の場所だけは思い出せなかった。母はあれが大好物なのだ。
 夜。ふたたび「港の見える丘公園」から港を展望する。無数の電気光が煌いている。これは紛れもなく人が生きた証だ。これらの製作に携わった人々はすでに場を退いているけれども、彼らが存在した証拠は確かにここにある。中華街にも、また人間が存在することを実感させてくれる場である。工場に就労していると、自分がときどき人間であるか否かに疑問を持ってしまうことがある。機械でも可能な(しかも機械であればより精密な)作業を続けていると人間性が自身の中で薄れ、仕事以外のことがらは右から左に流すという動作を会得する。中華街に精密さはない。誰もが自身の持つ商品を売るべく声を出す。自らの行動がどこへ繋がり、どんなフィードバックを引き起こすかを覚悟している声である。「人間性」だの「オンリーワン」だの、言葉にすればするほど軽薄になる存在が、雰囲気をもって街に点在している。そういえば、BGMがないことに気付いた。渋谷を始め、わたしの住んでいるような片田舎でも繁華街に行けば音楽が流れている。そうでもしなければ静まり返るからに違いない。人の声が四方八方から聞こえてきて混ざり合う空間がようやくここに保管されているかのようだ。ふと、ボンゴのような音が耳に入った。近づくと、地べたに座って明らかに日本人ではない誰かが叩いているのがわかった。が、しかし、彼(あるいは彼女)は叩きはするが歌わない。音楽と声とを一にしない。いずれかがあればそれでいいのだろう。しばらく聴いていたが無言だった。
 横浜には人間が生きている。