「否定的意見」の巻

 小学校教諭が云々、という例の事件について。テレビのコメンテーターというのはわれわれ視聴者のオカズになるのが仕事、というのは周知の事実であるが、それでも意見の的外れっぷりとその対象の大々的さ加減にはいささか思うところがある。最も気に入らなかったのは「教員にはそういう趣味を持たない人が就くべき」という意見だ。それに対して同意し「教員資格と同様に、定期的にメンタル面での検査をすべき」とコメントした者もいた。総じて愚かしいと言わざるを得ない。
 わたしは死体愛好や小児愛好に対して同調は出来ないけれどもその存在を否定は出来ない。というより、したくない。いかなる趣味を持っていようと他人に迷惑をかけないかぎりは須らく容認されるべきだからだ。そしてこの「迷惑」に大小の別はない。レヴェルの判断はすべて被る側に委ねられている。同時に法治国家である以上、この国の法に違反するのは論外である。逆を言えば、法に触れたり他人の迷惑にならなければ(たとえば妄想において)猟奇的であろうと俗に「異常性的嗜好」(わたしはこの表現が嫌いだ。性的嗜好に正常・異常の明確なライン引きが存在しないし、存在すべきではないと考えているからだ)と呼ばれるものであろうと一向に構わないわけである。ここにおいて、「彼に教えられていた」ことを不服とするならばピーマンを食べられない教員になんてついてほしくないというのと論理的には同じである。バカバカしいというほかない。
 メンタル面での精査など論外だ。彼らはつまりペドフィリアに教員の資格はないと言いたいのだろうが、その理屈から間違っている。それはつまり趣味の部分に雇い主が介入するということであり越権行為以外の何物でもない。労働者の条件は恙無く仕事をこなすことでありそれさえ満足に行なわれていれば問題はないはずである(もちろん、仕事に支障が出る原因を持つこと自体も問題だ)。また、パソコンまで押収された件について「バックアップがあるだろうから油断できない」とか宣っていたが、ハードディスクの中身まで問題視するのはむしろその視点こそが異常だろう。そもそも教師が公人であるという発想そのものがわたしには理解できない。これがサラリーマンだったら少なくとも今回の報道より扱いは小さくなるとさえ考えられるのだ。確かに、彼の所業は悪質であり道徳的に許されるべきではない。けれども、それは彼自身の性格までも否定する材料とはならないのだ。コメンテーター群は「罪を憎んで人を憎まず」ということを学校で教わらなかったのだろうか。っていうか、君らにも他人に言えない趣味のひとつやふたつあるんじゃないの?