「remix」の巻

 いよいよ本日「shinzou.jp シネステージア」にてチバユウスケ×大沢伸一によるユニット、Star Casinoの音源が配信される。Thee Michelle Gun Elephantを遅ればせながら追いかけようとしている現在においてなかなかに奇遇だ。9月の初めに部屋を整理していて見つけた東京スカパラダイスオーケストラ「カナリヤ鳴く空」を聴いてからというもの、ジャズに対しより深く潜り込もうとしたのと同時に、TMGEへの食指が動いた次第である。といっても彼らの作品は一枚も持っていないので「TMGE 106」を購入した。
 何か書くべきなのだが困ったことに彼らは一言で完結してしまう。それは「Dr.Feelgoodに似てねえ?」である。ファーストアルバム「cult glass stars」も聴いてみたが、どうも腑に落ちない。なんでこんなものが1996年に売れたのだろうか。すでにJamiroquaiは「Virtual Insanity」を発表しており、Underworldが永遠のテクノアンセム「born slippy nuxx.」(当然映画『Trainspotting』も忘れてはならない)を生み出した時代に、なぜここまでクラブ系(もちろん、今で言う『クラブ』ではなくバーテンが駐在し売春婦が闊歩するほう)ロックが日本で鳴ってしまったのか。答えはひとつ、必然性があったからだ。さて、ここで先の「Dr.Feelgoodに似てねえ?」という疑問である。文章における疑問符の後ろは否定形が来る。つまり異なっている。Dr.FeelgoodはDr.FeelgoodでありTMGETMGEである。ではその由来は何か。
 その答えはチバユウスケのヴォーカルに他ならない。まずはその真っ当な演歌性である。日本のポップミュージック全体における醍醐味であり弊害がこの演歌性であることは言わずもがなである。藤原基央小林旭吉幾三も大して変わったものではない。(ぼんやりとした)暗さと(電球のような)明るさが同居し、必要以上に哀愁を漂わせていながら陰鬱にならないというきわめて奇妙な、しかし日本人には自然なヴォーカルスタイルである。しかし、チバの声はもうひとつの側面からの考察も出来る。わたしに言わせれば彼の歌声の率直な印象は「エレキギターみたい」である。より踏み込めば「ギターが弾きたかったんだけど誰も歌わないみたいだから一応ヴォーカルとるけど、でもあの音が捨てられないからそれっぽい声で歌ってみよう」という感じだ(チバの意見がどうあれ)。ゆえに、「上手い」とは考えられない。この考えと同時に脳裏に浮かんだのはバーナード・サムナーである。かつてJoy Divisionでギターを担当していた彼はヴォーカリストイアン・カーティスの唐突な自殺(未だに原因は不明。来年公開予定の映画『Control』が資料となるか)によってヴォーカルをとらざるを得なくなった。後に彼らはNew Orderと呼ばれ邁進するわけだが、あの「Blue Monday」のときでさえ彼のヴォーカルは必死に音程を整えたり裏返りを抑えたりと危なっかしかった。チバの声色も同様である。あまりに日本的でありながら、あのニューウェイヴ以降の行き詰まりを感じさせるあの声こそTMGEの価値なのではないか。わたしが夜10時半の大月駅のホームで「バードメン」をヘッドフォンで聴きながら踊り狂っているのもここに理由がある。それは言うまでもなく、あの80年代直前の不安と日本人なら誰もが受け入れるだろう演歌性が混じった声に対する歓喜である。