「20-80の法則・応用編」の巻

 イタリアの経済学者パレートの提唱した消費一般におけるこの法則はすでに経済や物質といった実存レヴェルを超えて活用される。言いかえれば、その対象が利益のみならず無駄や怠惰といったマイナスのものにまで置換できるということだ。わたしは経験上、この活用を価値あるものとして見る人間である。
 わたしの「20:80」は言葉をその対象とする。わたしの発する言葉の80パーセントは発するべき言葉の20パーセントである。実際、この程度がちょうどいいと確信する。この実践を始めてからというものほとんど誰かにいざこざを押し付けられたことがないからだ。だが、それも運が良かっただけかもしれない。言葉の内容は常に均等ではなく、罵倒、揶揄、悪態、諫言などさまざまであり、その20パーセント部分の切り取り方次第では即効性をもって逆鱗に触れることもあるかもしれない。
 この20パーセントを建前であるとして非難する向きもあろうが、それは二つの部分を看過している。ひとつは建前の有効性を見過ごしていることだ。建前も本音も単なる言葉であり、大事なのはその作用である。作用が「有効」に働けば建前も本音も同等に価値があり、また同等に価値がない。もうひとつは、わたしの用いる20パーセントは建前か本音かという区分をするなら間違いなく後者であるということである。わたしは昔から嘘をつくのが苦手であり、建前の重責の負うくらいならば本音の引き起こすしっぺ返しのほうが何倍も楽であることを知っているからだ。
 ゆえに、わたしは常に誰かと話すときは全体の20パーセントのみを話す。これはわたしの知る数少ない処世術のひとつである。