「反省」の巻

 父がリストラされたのは高校へ上がる直前だったと記憶している。職を転転とした後に交通事故に遭い、神経系を損傷した。それから手足に力が入らなくなる、体温調節が出来ないなどの後遺症に見舞われている。彼のこれまでの行動をしてみればまさに因果応報といったところだが、わたしはこうして盛衰を目の当たりにしたわけだ。社会的再生産論は実に楽天的な思考に支えられているらしく、ホワイトカラーがブルーカラーへ落伍することまでは計算外の事象らしい。結局再就職もままならず、借金でもって家計は運営されている次第である。「社会の歯車になりたくない」などと嘯く連中がいるが、歯車になることさえ適わない人間を彼らは知っているのだろうか。
 わたしも学費と交通費の捻出のためにアルバイトに身を置いている。所属する部署はまさに日本の下層社会といった塩梅で、五十歳を過ぎて肉体労働のパートタイムに従事するしかなく、それでもギャンブルから手を引けない人々が従業員全体の九割を占める。休憩室はどこも紫煙が充満しており、かつては遠く離れたつつじの蜜の匂いまでも知覚したわたしの嗅覚はその機能を荒廃させているらしく、最近は米の味が正確にわからなくなってきている。喫煙の撲滅を謳う輩は、強制的に副流煙を浴びせかけられる環境もあるのだと事実を知らないに違いない、きわめて(頭の)平和な人たちだと思う。
 このような場では経験や能力よりも年齢が序列の中心となる。ゆえにわたしは最下層に属し、専ら指示を受ける側でしかない。名前を呼ばれることはまずなく、言葉で指示されるのも絶対に言葉を用いざるを得ないケースのみである。バイトの学生なんてものは顎で使ってなんぼの存在だと彼らは考えているらしく、事実そうに違いない。たとえばそれは生後一年に満たない子犬に身体的打撃をもってしつけるのと同じで、打撃が無いぶん、人間として扱われている(と考える)。そもそもここでの仕事(と呼ぶべきか判断に困るけれども)は機械でも行なえる作業なのだから、いっそ頭の中だけでも自分を「人間」というカテゴリから外してしまうほうが利便だ。こうすればどんな理不尽な指示もすんなりと受け入れることが出来る。自分が最下層に属する存在であると信じ込むことは、実際にそうであるという事実を知るより精神衛生上よろしいということをここで教わった。他にも、当たり障りのない相槌や相手に聞こえるか聞こえないかくらいの音量で喋る術、などなど。長生きしないだろうなあ、したくもないけど。











せっかくのエイプリルフールなので嘘で固めた雑記を書いてみた。