「パラダイム・チェンジ〜LINKIN PARK『Minutes to Midnight』細見」の巻

 改めてLINKIN PARK「Minutes to Midnight」に関して書いてみたい。通算三枚目、前作から四年ぶりのスタジオアルバムである。デビュー作が初期衝動であるのはまあレコードに関してはきわめてありふれた事象であり彼らも例外ではなかった。が、セカンドアルバム「Meteora」はその構造と完成度において非常に高い水準を持っていたと言えるだろう。ロックというジャンルはこれまでさまざまの要素を取り込んできたが、エレクトロニクスはこれまでも最大の課題であった。なぜなら機材の発達は音楽のそれとほぼ同義であるからだ。たとえばRadiohead(もしくはトム・ヨーク)はその先駆者的存在だろう。単に電子機材を演奏に取り込むというのではなく、むしろ人間の手によって奏でられたものをコンピュータで加工することに比重が置かれた。hideの提唱した「PSYBORG ROCK」の概念もここにある。「Meteora」はサンプリングなどの技術もさることながら音の肌理という点において電子音楽的視点から礼賛されるべき作品だった。その作り込みは執拗とさえ表現できる。曲同士のつながりが澱みなく、アルバム全体が一作品として成立しながら、しかし一曲一曲が聴覚を魅了する。このバランスが絶妙だったのだ。この「音の肌理」に鋭敏だったからこそ「Collision Course」というレコードを作ることができたのだろう。
 さて、件の「Minutes to Midnight」であるがこのあたりが蔑ろになっている。最大の争点は曲のほとんどが分断されていることだ。この背景は言うまでもなく楽曲のダウンロード販売の隆盛である。かつてSonic Youthがこの点を指摘しシングルヒットが追求されアルバム全体として聴くことがなくなると示唆していたが、LINKIN PARKも見越していたということだろう(事実、既発のレコードがダウンロード販売されたのはつい最近だ)。楽曲もそれぞれが独立した個性を放っており、逆を言えば統一感がない。プロデューサーを変えたからせいだろうか? とにかく、今回のレコードはアルバムというよりはバンドの現状を伝えるという点において、むしろシングル的扱いをしたほうがいいのかもしれない。LINKIN PARKというバンドの試行錯誤をそのまま作品へ投影し、とりあえずの現段階をアナウンスするレポートとしてのアルバムなのだ。
 こう考えれば多少落胆も軽くなると思う。