「呆然」の巻

 会津若松の事件に関して。また押収物から事件に至る可能性を煮詰めているらしい。ワイドショーに話題を振るだけなのだが、話題を振るのが彼らの主な業務であるがゆえにほとんど提携に近い動きのようにさえ見える。その押収物は往々にして本だったりレコードだったりして、言い換えれば誰でも入手できるメディアだ。この「誰でも入手できる」というのが甘美なスパイスであり、さまざまの機関や人間が「こんな近くにこんな危険なものがあるんですよ」と喧伝する格好の材料となる。ところで現在わたしの部屋の目立つところには漫画「殺し屋1」の全巻揃いと映画「時計仕掛けのオレンジ」のDVDが置いてあり、もし猟奇殺人や強姦事件など引き起こそうものなら彼らが槍玉に上げるだろうことは瞭然である。iPodに常駐させている「Rubber Johnny」も候補になるだろうか。
 こうした視覚的、もしくは言語的に明らかに有害でありそうなものは専ら排除を求められる。その他方で一見しただけではわからないような危惧、しかもそれらは総じて表面的には健康そのものである存在は居座り続けるものだ。合成着色料と化学調味料にまみれた菓子類さながらである。それが真に孕んでいる危険を察知しようとしない。青少年を「保護」する連中がいかに浅薄たる視座しか持ち合わせていないかがよくわかる。Beastie Boysのリリックに井戸端エンターテイメント的な「恐怖」を喋るより、オレンジレンジの歌詞に潜む本質的な危険を感じ取るべきである。