「Jazz is the teacher」の巻

 NHK教育ETV特集」を見た。菊地成孔マイルス・デイヴィスについて語るという内容で簡単にいえば、ちょっと前に放映していた「私のこだわり人物伝」の再編集ヴァージョンである。が、何回か見逃していたので結局観た。以前にも書いたが菊地はジャズというものを系統だてて話すことのできる人物(少なくとも東大から招聘されるくらいには)であり、概要を知るために話すことをきちんと心得ているらしい。ビーバップからの脱落とミュート・トランペットの使用、モードジャズの確立からストリート志向まで(そもそもジャズそのものがアメリカのストリート・ミュージックだったわけだが、それはさておき)を浅く、しかし無駄なく網羅していた。晩期のマイルスに迎合したのが「ラップ」であり、「ヒップホップ」ではないとしたのはNHKか菊地か。いずれにせよこの点は評価できる。ラップとヒップホップとは決して同一ではないからだ。他にも若かりし日のHerbie Hancockを垣間見たりと結構興味深いものだった。
 去年、ほんの少しジャズを聴いた。契機はGalaxy 2 Galaxy「Hi Tech Jazz」である。そこからMoodymannやIan O'brienなどテクノとジャズとの邂逅を辿り、Lee Morgan「The Sidewinder」をCDで買い直し(アナログはすでに持っていた)、菊地成孔関連、Date Course Pentagon Royal Garden東京ザヴィヌルバッハを求めた。後輩のテナー奏者とフリージャズ紛いのライヴをしたこともあった。が、わたしのマイルス・デイヴィスに関するマテリアルは「Kind of Blue」「On the corner」の二枚だけである。しかし、別にこの他のレコードを求めようとは(経済的なものもあるかもしれないが)思わない。前者は定番中の定番、ジャズ史、いや音楽史に残すべきレコードだが、後者によってなぜ満足が与えられるのか。
 今回のタイトルは、デトロイトテクノの黎明を支えたJuan Atkinsの同名の曲からとっている。ここにそのひとつの解答がある。つまり、ジャズをあくまで電子音楽の対極にある存在として見ているからだ。わたしは電子音楽へ非常に興味を持っておりそれなりに聴いてきたつもりだ。その中でテクノからもっと最も遠い位置にあり、しかし最も近い位置にあったのがジャズだった。前者はアフリカに起源をもつということ(電子音楽は欧米に拠るため)、後者はアフロ・アメリカンにおいて興隆したことを指す。「Kind of Blue」は先にも述べたようにモードジャズを拓いた、言うなれば民族音楽と人間の多様性という実にアコースティックというかアナログ的発想の傑作だ。対して「On the corner」はというとマイルスがエレクトロニクスによる編集という、デジタリスティックと結びついたレコードなのだ。それは多チャンネル録音だったりドラム・ループの使用(もちろん当時サンプラーなどは存在しないためテープでループを作った)など、きわめて電子音楽的なアプローチに根拠が求められる。ゆえにこの二枚がわたしのとってのマイルス、となったわけだ。繰り返すが、電子音楽とジャズは最も遠く、しかし最も近い位置にある。だからこそ邂逅した際の爆発は計り知れない。「Hi Tech Jazz」が耳に入った瞬間、わたしが本を投げ出した理由は、この爆発に他ならない。そして、さらなる拡張を、わたしは求めてやまない。