「ラーメンズに関する短い考察・追加分」の巻

 ラーメンズの代表作といえばおそらく『日本語学校』シリーズだろう。おそらくラーメンズを知っていればほぼ確実に名前程度は覚えているはずで、内容もある程度わかっていることと思われるので構造については敢えて言及しない。わたしの知る限りではスペイン編、フランス編、中国編、アフリカ編、アメリカ編と類型『不思議の国のニポン』がある。原型は彼らがかつて常連として出演していたテレビ番組「爆笑オンエアバトル」にて披露したコントだろう。これは『日本語学校』と異なり、日本語をろくに話せない外国人に扮した二人が日本語の教科書を読む、というものだった。
 ここにおいてわれわれはある別のコントを思い出さねばならない。それはスネークマンショーの『Let's learn Japanese』である。スネークマンショーは言うまでもなくラジオ番組だったので音声のみだったが構図はラーメンズの『日本語学校』と同じだ。英語を操る教師に扮した小林克也が日本語を教える(生徒役は失念。おそらく伊武雅刀だろう)というものだが、その日本語というのが「わたしはいいひとです」であるというブラックな印象を与えるものだ。が、やはり『日本語学校』とは多くの差異がある。
 ブラックな笑いが含まれていないではない。中には「しらない・わからない・こむぎこかなにかだ」(『こむぎこ』が何を意味するかは読者のあなたの推察に依る)というものもある。けれども多くは発声される言葉の響きを楽しむのだ。これは小林賢太郎の得意とするところの言葉遊びの延長線上に置かれるコント、と識別できる。さて、響きを楽しむ、ということは言いかえれば意味を言葉から引き剥がすということだ。コントの中で二人が発するのは「北海道」ではなく畢竟「ほっかいどう」である。極言すればあれらの作品はヒューマンビートボックスに近い。結局のところ『日本語学校』の何が面白いのかというと、こうした「音」のみを抽出した言葉にラーメンズが勝手なレッテルを貼り付けて、再び本来持っていた「意味」と照らし合わせてそれらの間に生じる差異を笑っているのだ。ドラマ『探偵物語』で、目玉つきのアイマスクを装着して眠る松田優作に感じる滑稽と同じである。ところで先に「ブラックな笑いがふまれていないではない」と書いたが小林賢太郎のことだから当然その方面を視野に入れている。たとえば「これははんぞうもんせんですか」「はい、とえいみたせんです」のやりとりと、われわれが中学校のとき読まされた「Is that's color yellow?」「No, it's blue.」の対応とにどれだけの異なりがあるだろう。
 数ある『日本語学校』シリーズの中でもアメリカ編は他の作品と比べてかなりその形が異なっている。まず、それまでパターン化されていた「濁点を含む語の、過剰な強調による発声」を採用していない。『日本語学校』シリーズの山場でもあったここを切り落としているのだ。もうひとつは発声する日本語を「歴史上の人物」に限定している。別の言い方をすれば地名を取り上げていない。ここで、小林は三つの点で追い詰められていた。ひとつは『日本語学校』が定番となりつつあること。笑いとは驚きの一種(逆もまた然り)だと知っている彼にとってこの事実は避けがたいものだっただろう。ふたつめはモティーフとする外国語が残り少ないことだ。このモティーフは言うまでもなくオーディエンスも、その存在くらいは知っていて、しかも「これは〜という国だ」と言葉で説明しなくても通じるものでなくてはならない。その結果アメリカを選んだわけだが、ここから三つめの問題が現れる。英語は他の語と比べて日本においては非常に認知度が高い。なまじっかパロディにしても笑いにはつながりにくいのだ。小林はこれらの問題を、徹底して「上っ面」のみを対象にすることで乗り切った。いかにも「アメリカ」な応対、いかにも「アメリカ」な発想、などなど。が、結果として出来上がった作品は『日本語学校』と銘打たれていながら実はそれまでのどのシリーズともかけ離れたものだった。彼らが最終的に下した結論がどんなものだったのかは実際にコントを見てもらうのが一番だろう。ここにあるのは、日本語をレッテルから遠ざけようとしながら逆に自分たちがレッテルを貼られてしまったという喜劇であり悲劇である。ゆえに、アメリカ編の最後、小林が放った「See you soon!」以降、『日本語学校』は作られなくなる。長くなったので『日本語学校』の再来といわれる『不思議の国のニポン』に関してはまた別の機会に。

 今回は以上です。