「歴史と文化と」の巻

 たまにはネットでしかお付き合いのない方を対象の中心にした話題でも。以前にL13さんのサイトで「日本語で韻を踏むのは不自然」という暴言を吐いた。が、これは残念なことに事実である。対して、英米詩や漢詩には押韻が用いられるのが一般的だ。この相違はさまざまの点から考察できる。
 まず、文法の違いがある。文章とは文法と切り離して考えることはできない。文法が誤っていれば物語はその味を失い、論は破綻する。基本的に、英語および中国語はともに主-述-補語その他であり、日本語は主-補語その他-述という構成である。補語や目的語にはヴァリエーションがあるが、述語にはない、殊に日本語においては。形容詞なら「い」で終わるし、丁寧語なら「です」「ます」に終止する。ゆえにヴァリエーションが狭まり、音韻の面白みがなくなる。音韻の面白みとは「同じ響きの言葉を連ねていく」という技術の高さに拠るものだ。そして、いくら技術が高くともそれなりの材料がなくては創作は不可能である。
 次に言葉のあり方だ。以前にも書いたかもしれないが、英語とはここ三世紀くらいでやっと「書く」ものになった。では、それまでは如何かというと、「話される」ものだったのだ。これは英語圏に限らず、欧州の言語全体に見られる特徴である。ゆえに「響き」を楽しむべく詩歌に押韻が用いられた。漢詩も同様、脚注におけるこれこれの詩が「書かれた」という記述は寡聞にして知らない。やはり「歌われる」、詠唱されるものだったのだろう。翻って日本の詩歌を省みよう。歌が娯楽となったのは平安期、歌合の隆盛のあたりだろう。ここで、歌は詠まれるものでもあったが、読まれるものでもあった。歌合で作れたものを詠唱するのはその本人ではなく、講師と呼ばれるその筋の名士で、往々にして雅楽家である。現在で最も有名な講師は源博雅だろう。映画や小説などに登場する彼はドジな役回りを演じさせられているが、これは彼が天徳四年の内裏歌合で緊張のあまり題と関係のない歌を詠んだというエピソードに拠るという。やや話が逸れたが、日本の詩歌とは、まず文面にされたということだ。ゆえに響きよりも拍は重視された。この拍の重視は現在でもその流れを見ることが出来る。例えばサザンオールスターズ真夏の果実」の歌詞は見事な都都逸調だということをご存知だろうか。参照のために一部を引こう。


 涙があふれる 哀しい季節は 誰かに抱かれた 夢を見る
 泣きたい気持ちは 言葉に出来ない 今夜も冷たい 雨が降る
 こらえきれなくて ため息ばかり 今もこの胸に 夏は巡る
 (間隔は筆者による)


 他にも「波乗りジョニー」などで桑田佳祐は(意識的にか無意識的にかは知れないが)都都逸調を取り入れている。この七音・五音の構成が日本の詩歌の歴史と密接に結びついているのは言うまでもない。
 以上二つの少ない素人目の観点からしてみても日本語で押韻するのはなかなかに不自然と言わざるを得ないのである。それ以前に外国語と日本語との間で「押韻」という言葉のニュアンスに若干の違いがあるのだが、それはまた次の機会に。

 今回は以上です。