「どうもどうもやあどうも」の巻

 DVD「タカダワタル的」を購入。劇場公開された本編とライヴDVDの二枚組。5000円弱と割高だが、ファンなら多分損はしないと思う。多分ね。全体的な印象としては、喋りが面白い。表情は非常に興味深い。あとこれは当然なのだが、ギターが似合いすぎる。驚いたのは、冒頭で10代か20代そこそこの高田が登場するシーンだ。曲目は「ごあいさつ」なのだけれど、声とか喋り方が全然変わってない。しわがれ具合は歳のせいだと思っていたが、あれは生来のものだったらしい。あまり中身に触れると面白みが減るので、あとは皆様の目でお確かめいただきたい。
 高田渡との初めての出会い(いや実際には会ってないけど)は実は大学生になってからである。「URCアンソロジー」の一枚目の一曲目、つまり「自衛隊に入ろう」だ。ちょっとだけ懐に余裕が出来るとその余裕をレコードが食らい尽くして部屋が狭くなる、というのが私の日常なのだが、これもその一枚。所謂「当たり」である。既知であった「サルビアの花」「教訓?」「プカプカ」、初めて知った「ひびけ電気釜!!」「あなたから遠くへ」などすべてが素晴らしかった。大学生たるものギターは弾けるべきだろうなどという80年代をもって風化したはずの概念を持ちえていたせいもあるが、「電気を使わない音もいいなあ」と本気で思った。CDで聴いている以上、電気は通しているのだけれど。
 次はNHKの特番で高田渡の特集が組まれた日のことだった。各地で公演を行う彼の姿を単純に追い続けたもので、無駄が無くて宜しい内容である。彼を「見た」のはこれが初めてだ。高石ともやも初めて「見た」。高田のほうが年下であるなど、とても考えられなかった。「生活の柄」を聴いたのもこの時だ。ここでは映画「タカダワタル的」の情報も得た。
 三回目は森達也放送禁止歌」を読んだとき。「浮浪者」という単語がまずいので「生活の柄」を歌えなかった際のエピソードが載っていた。ここで、私は彼の「詞」に対する真剣さを知ることになる。ぜひ読んで頂きたい本なので内容の紹介は割愛する。
 続いてはつい最近、文藝春秋での談合記事である。参加者は他に中川五郎なぎら健壱など、フォークの時代を生きた人々である。なぎらの「渡ちゃんは本当に老けてみえるよね」というコメントに対する「電車で明らかに年上の人に席を譲られたことがある」というエピソードに笑った。
 そしてライヴ・オムニバス「タカダワタル的」を聴き、いよいよ本格的にのめりこむ。思うに、私の琴線に触れる人々は日本語を巧みに操る人種である。井上ひさしもその一人だ。高田の曲も先の「ごあいさつ」(原詩は谷川俊太郎だけど)のほかに「値上げ」「スキンシップ・ブルース」「酒心」など、日本語の面白い部分を上手に引き出している。ライヴを観たいと本気で考えるようになった。
 そして、訃報。これから、というところで彼は居なくなった。残念としか言い様が無い。今はただ静かに祈るのみである。

 さよなら、高田渡