「以心電信」の巻

 MPC1000というシーケンサ内蔵サンプラーを使い始めて丸一年になる。他にもシンセサイザーが二台あるのだが専らMPCで音楽を作っている。おそらく機能全体の二割しか使いこなせていないだろうが、触っているだけで楽しい。MPCシリーズと呼ばれるこのサンプラーはパッドを叩いて音を再生し、音楽を作る。ここに当てはめられるべき音は16ビットでレートが44.1kHzであれば何でもよく、それこそ人の声であったり何かの衝突音であったりと選択の幅は広い。こうして生まれた音を採取)サンプリング)して再生し組み合わせることによって音楽を作るのだ。叩かれた音はタイミング、大きさなどがそのまま記録されるため、自身の感性がモノを言う楽器であるといえる(ある程度であれば補正も可能)。しかし、当然限界もある。例えば一気にたくさんの音を再生することは出来ない。電子音楽機材には発音数というものが定められており、それを超えて同時に音を発生させることは不可能だ。その場合は強制的に消される音が現れることとなる。
 さて、今回はこのパッド演奏(そしてその記録)という手法における不可思議をお話ししたい。わたしが専ら使用する機能に「16LEVELS」というものがある。これは全部で16個あるパッドすべてに単一の音を担当させ、しかしそれぞれに16段階のアクションを与える機能である。例えばそれは音の大きさであったり、タイミングであったりと様々だ。話の中心はこのうちの音階の機能である。パッドのひとつに元と同じ高さの音を割り振る。すると、残りの15個は割り振られたパッドの音を中心に半音ずつ上がったり下がったりして音を再生するのだ。しかも、この機能はふたつ以上のパッドの音を再生できない。どこかのパッドが鳴ったらその再生中は別のパッドの音は鳴らないということだ。しかも、無理に鳴らそうとすると後から押された音が先に押されたパッドの音を上書きする。これを利用してわたしが行っているのはランダムにパッドを押すという方法だ。どんどん音は上書きされて押している間は思いも寄らない音階を作り上げる。これが実に楽しい。いや、楽しいだけではない。なぜかそれが稀にだけれど、いわゆるメロディアスなものになっていることがある。それはわたしの感性が理性を超えたものであるし、同時に感性が機械と相克して生まれた音である。つまり(サンプラーを用いた音楽のほとんどがそうであるが)譜面では決して生み出せない音楽なのである。わたしの感性を機械が制御し整理したとも言えるかもしれない。こうした出逢いは他の音楽にはあり得ない出来事だろう。電子音楽の面白みのひとつにはこうした機械による感性の拘束があるのかもしれない。機械による感性のコントロールというマゾヒスティックな悦び、これが電子音楽の醍醐味である。