小論

 「見慣れた光景」の巻

殺害した遺体を敢えて切り刻むという殺人事件が続発している件について。わたしはネクロフィリアではないけれどもこの続発というケースについて興味を覚える。行為だけ見れば残虐である。問題は、なぜ彼らが切り刻むのかだ。相手を殺したいほど憎んでいて結…

 「次元の違い、あるいは方法論の模索」の巻

ゴダールを追いかけようと考えている。次回のお給金ではDTMを一式揃えようと考えていたのだが「映画史」ほかゴダール作品のDVD-BOXを購入してしまいそうな勢いだ。今年最初に観た映画は何度目かの反復になる「東風」だった。わたしはYMOからこちらに足を踏み…

 「分析、あるいはベルクソンへの接近と畏敬」の巻

チュートリアルが今年のM-1グランプリで見せた漫才は分析に値すると考え、漫才を愛する人間のひとりとしてここで行なってみたいと思う。彼らが圧倒的であったのは言うまでもない事実だが、ではなぜ圧倒的だったのか。圧倒だとか超然だとかいうものは須らくそ…

 「遺物」の巻

NHKでチャップリンの特集をやっていたので「またか」と思いつつ観てしまった。しかし、米WTCビルのテロ以降、フランスでは「独裁者」を再上映(しかも週刊ランキングでは最高4位を記録)したという話は非常に興味深かったし、映像化されることのなかった脚本…

 「低音」の巻

バスドラムは、おそらく最も低い音を出す楽器である。これが生まれる以前、いわゆる古典音楽においてはそれこそティンパニやらバスやらという低音担当楽器が存在していたが、バスドラムはそれを一気に、そして圧倒的に突き放して低い音を出してしまった。低…

 「Turn Turn」の巻

晴れの笑いと褻の笑いということについて、テレビのお笑い番組をモティーフに短い演説を行なった。話す前に「それではお話させていただきます」と言ったのに無反応だったのはいいとして、あまり伝わっていなかったようなので悔し紛れにここに書くことにする。…

 「希少価値の逆転」の巻

NHK総合「サラリーマンNEO」は見られる週なら可能なかぎり見るようにしている。NHKがこれほど真っ当なコント番組を作ってしまうとは正直信じられなかった。そのうえ「はたらくおじさん」「明日を読む」といった番組のセルフパロディや他局、つまり民放局のパ…

 「サポート」の巻

ディジュリドゥという楽器がある。ネイティヴオーストラリアンであるアボリジニの民俗楽器のなかでも比較的ポピュラーな長笛で、Roland TB-303のような捻れた音が出る。これは、シロアリによって空洞化したユーカリの木を切り取って作られる。当然、木の状態…

 「平面性―西原理恵子による『肖像』」の巻

このところ雑誌「ユリイカ」を読みまくっている。学内図書館で毎月新刊が読めるということもあり、バックナンバーにこそ手を出さないものの新刊が出れば手に取るようにしている。かつては「こんなの文芸誌じゃねえよ」などと敬遠していたが、なかなかどうし…

 「誤解とその代償」の巻

普遍的な逆説ではあるが、研究したりその道に打ち込んだりしている者は遅かれ早かれその対象を否定するかのような行動に出ることになる。あくまでそれは、別の視点を組み入れることにより対象の発展を深化させるという目的で行われるのだが、その志向がきわ…

 「自己同一性障害」の巻

サッカーワールドカップ・日本対オーストラリア戦を観ていた。ドーハの悲劇を再現しているかのような終盤での逆転。思わず「川口、下がって!」とテレヴィの前で叫んだところで1点が入れられ、コロコロと負けてしまった。さて、今回の話題はそれより前の話で…

 「Breaking Point」の巻

昨今は猫も杓子もジェンダーであり(そもそもこのカタカナ語の日本語訳はどのようなものになるのだろうか?)我が大学でも連関する特殊講義が開かれているわけだが、やはりメンタルがいかに足掻こうともフィジカルな特徴を超越することは出来ない。所詮男の…

 「Platinum-Tongue」の巻

開国後の日本における躍進の陰にはその圧倒的な語学力があった。それはもちろん「解体新書」に象徴されるように、日本人の特技といっても過言ではない。翻訳という作業は手っ取り早く外来文化を吸収するのに非常に役に立つ。この吸収のレヴェルは言うまでも…

 「デトロイトに針路を取れ」の巻

小林秀雄がすでに示したとおり、日本の「自然主義」文学や私小説と欧米の、つまりオリジナルのそれとは名称こそ同じだけれどその中身は全く異なっている。名称という道具は物事を決定付けるのに非常に役に立つけれども、時としてあいまいなイメージのまま決…

 「We can't be perfect,but...」の巻

映画「マトリックス・リローデッド」において、システム「マトリックス」の創造主である「設計者」はその構築における苦悩の理由として人間の不完全さを挙げている。本来であれば「数学的正確さ」を求める彼らには考えの及ばない、「完璧を求める度合いの低…

 「観念論、もしくは青空の下における『イデオロギー』細見」の巻

「ideology」という単語はしばしば(社会的、あるいは集団的な意味での)「思想」と和訳される。ここをして訳を等式と見なし、「思想」という単語の本質を探ってみたい。そもそも「ideology」とは名詞「idea」と接尾辞「logy」(あるいは『ology』)とによる…

 「オーヴァードライヴ」の巻

映画の話。妹がなぜか数年前の映画「黄泉がえり」を観たらしく、ひどく感動したそうだ。そもそも彼女は恋愛映画というジャンルが好きで我が家にいたころも邦洋問わずに観ていた。一方のわたしはといえば専ら娯楽を求めており、恋愛映画などはほとんど琴線に…

 「過不足」の巻

まず、反意語という語彙を分析してみたい。恥ずかしながらわたしはこの語彙はここが初見なのだが、要するに「意味が相反する」ということだろう。「対になっている」のではない。具体例を挙げれば、「北」の対は「南」だが、「北」の反意語は(深い意味では…

 「雑音」の巻

次回のゼミで機会があれば言おうと思っているネタをここに書いておこう。「足音入りの『第九』」に関して。昨今ではデジタル技術によるレコーディング、マスタリングが隆盛しており、ProToolsにはその機能の豊かさ、技術水準の高さから2000年だか2001年だか…

 「残滓」の巻

絲山秋子「沖で待つ」を読む。さんざん叩いて申し訳なかった。結構面白い。序盤で食らわせておいて、追憶でラストまで引っ張って、随所に衝撃を織り交ぜていくという構成はなかなかに秀逸。全体が薄味な印象を受けるけれども、じゃんじゃん盛り上がったら興…

 「晴耕雨読」の巻

昨日、やっと図書館で阿部和重『グランド・フィナーレ』の単行本を借りることが出来た。で、おまけの三作は正直どうでもよかった。「新宿ヨドバシカメラ」「20世紀」はともに阿部和重のお家芸である「啓示」モノで、特に目立った印象はない。「馬小屋の乙女…

 「歴史と文化と」の巻

たまにはネットでしかお付き合いのない方を対象の中心にした話題でも。以前にL13さんのサイトで「日本語で韻を踏むのは不自然」という暴言を吐いた。が、これは残念なことに事実である。対して、英米詩や漢詩には押韻が用いられるのが一般的だ。この相違…

 「ブービートラップ」の巻

映画「SAW2」を観る。前作が良かったのでこっちは正直期待していなかった、つまりハリウッドお得意の「二匹目のドジョウ作戦」だと踏んでいたのだが土下座したくなるほど面白かった。物語が二転三転して観ているものが裏切られるのも爽快だけど、それ以上に…

 「短編」の巻

昨晩の「世にも奇妙な物語」は超短編が秀逸だった。そもそもこの番組自体がショートフィルムの集合みたいなものなのだが、さらに短い、10秒〜30秒程度のものである。このショートフィルムというジャンルはその(作る側、観る側双方における)手軽さから現在…

 「笑いの基本」の巻

雑誌「ユリイカ」に掲載されていた、浦沢直樹、あずまきよひこ両先生のインタヴューを再読。どちらの作品も現在、単行本を買い続けている(それぞれ『20世紀少年』と『PLUTO』、『よつばと!』)ので個人的には非常に読む価値があった。今夜はあずま先生の方…

 「続・普遍的願望 〜余は如何にして電子音楽愛好家となりし乎」の巻

以前に「人間の超人思想」について書いたが、わたしが電子音楽を好むのもここに相当する。ここではより一般的なテクノというジャンルを代表として考えをまとめてみたい。実は「テクノ」という言葉で指すべき対象の音楽は、1980年で大きくその意味を変えてい…

 「普遍的願望」の巻

日本テレビが社屋を移転する直前の汐留に行く機会があったのだが、実に衝撃的な出来事だった。いくつもの巨大な機材と掘り下げられた地面、場違いな観葉植物に前衛的なオブジェ、すべてが情を一切感じさせないくらいの見事な「テクノポリス」っぷりであった…

 「Man in the Mirror」の巻

TBS系列「世界一受けたい授業」でJohn Cageが取り上げられていた。John Cageといえば当時のクラシックから現在の音響系に至るまでさまざまに影響を与えてしまった音楽家である。彼の特徴は、既存のフォーマットを斬新な方法で使用するという点に集約される。…

 「2006年月面の旅」の巻

「Fly me to the moon」といえばわたしたちの世代ではきっと知らない人はいないと思う。1954年にBart Howardによって作られたこの曲は元は「In other words」という題で、しかも三拍子だった。当時はほとんど売れなかったらしいが、'62年にJoe Harnellによっ…

 「はるかなる故郷」の巻

映画「耳をすませば」は、わたしが唯一DVDで所持しているスタジオジブリの作品である。この映画はOlivia Newton Johnの「Take me home,Country road」が本題ではなくとも通奏低音、またオープニングテーマとして用いられていて、本名陽子さん(劇中では主人…